何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、
そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、
心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。
何を試みても、現実ではおそらく、
うまくいかないことのほうが多いだろう。
でも、失敗したらなお面白いと、逆に思って、
平気でやってみればいい。
とにかく無条件に生きるということを前提として、
生きてみることをすすめる。
無条件に生きれば、何かが見つかる。
だが、必ず見つけようとガンバル必要もない。
見つかってもいいし、見つからなくてもいい、
と思えば目の前に何かが浮き上がってくるに違いない。
軽く素直に動けばよいということだ。
はじめに踏み出す第一歩から、
ゴールに辿り着こうとしてはいけない。
強烈に生きることは常に死を前提にしている。
死という最もきびしい運命と直面して、
はじめていのちが奮い立つのだ。
死はただ生理的な終焉ではなく、
日常生活の中に瞬間瞬間にたちあらわれるものだ。
この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、
生きがいに賭けようとすれば、必ず絶望的な危険をともなう。
そのとき「死」が現前するのだ。
惰性的にすごせば死の危機感は遠ざかる。しかし空しい。
死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。
今日はほとんどの人が、
その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。
だから虚脱状態になっているのだ。
岡本太郎著「自分の中に毒を持て」より。
とても勇気づけられる言葉です。