真実を見つめる | takoyakingmakironのブログ

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今は笑える!笑うしかない(笑)
私のカオスな家庭環境を思い出して書いてます。

秋の始まりを告げる落ち葉

 

高橋和己先生の

”子は親を救うために「心の病」になる”

を読んで心のもやもやがすとんと落ちた。

私、精神的ネグレクトを受けていたんだ。

 

私は父からは身体的、肉体的暴力を受けていた。

それは明らかに度を越えていて

”虐待”といえるものだったので

これはDVなのだと理解することができた。

人に自分の経験を話しても

ひどいお父さんだね、と理解してもうこともできた。

 

でも母は違った。

外ではいい人、一生懸命働いで苦労して

娘を育てたがんばりやさん。

そんなイメージの人だったので

私は混乱していた。

 

確かに外では人に気をつかいすぎるほど気をつかい

いい人だったと思う。

自分のことは後回しにしてでも

人のために働くような人だった。

 

いい人だし、早くにお母さんを亡くして

苦労して頑張っている。

私が頑張ってお母さんを支えなくちゃ。

小さなころの私はそんな気持ちでいた。

お母さんに幸せになってほしい。

楽しいことをさせてあげたい。

喜んでもらいたい。

そんな気持ちでいっぱいだった。

 

でも母は私の気持ちを考えてくれることは

なかった。

商売をしていてパートさんを雇っていたが

その人たちが休みを取ると

私との約束があっても休みを取らせていた。

私との約束なんて

まるでなかったように

満面の笑みでパートさんに接していた。

私が「約束は?」

と聞くと

仕方ないでしょう。

パートさんがお休みとるんだから。

それだけで私との約束は消えていった。

 

食べられなかったことはない。

不潔な服を着ていたこともない。

学校に行けなかったこともない。

寝る場所がなかったこともない。

でも、私には居場所はなかった。

話を聞いてもらうことも

おかえりと声をかけてもらうことも

体調を気にかけてもらうことも

困って相談することも

なにも無かった。

 

でも外では頑張り屋の良い人。

私がこんなことを思うことが悪いのか

私が間違っているのか

でも苦しい

 

”子は親を救うために「心の病」になる”

この本には様々なタイプの虐待が書かれていた。

事例が物語風にわかりやすく紹介されていて

自分を重ねやすかった。

中でも”精神的ネグレクト”という概念は

私にぴったりはまって驚くほどだった。

大川さんという女の人の事例が

私にまとわりついていた霧を晴らしてくれた。

私と同じようなことで悩んでいる人がいたのだ。

それを知っただけで孤独感が和らいでいった。

 

私が感じていたもやもやは間違っていなかった。

頑張って母をいい人だと思おうとしても

どうしてもすっきりしなかったのは

やっぱり母も毒親だったから。

 

食べて寝て学校に行かせてもらって

それ以上何を望むのだ

贅沢だ

それが母の言い分。

 

親って何だろう。

産めば親なの?

私はそうではないと思う。

親とはかわいがって愛情を注いでくれる人

 

人が育つのに必要な栄養は食べ物だけではない。

愛情がなければ

その分は空洞になってしまうのだから。