4月23日(日) 今日の集合場所は宇部市船木にある「学びの森くすのき」です。JR 山陽本線の小野田駅に9:20到着。駅前から船木鉄道バス9:40で終点の船木バス停まで行きます。バスは貸切状態でした。
船木のバス停から「学びの森くすのき」は約300m位歩くとあります。以前来たことがあるので覚えていました。
参加者は女性6名、男性7名の13名です。
会長さんの挨拶とコース説明の後、軽くストレッチ体操をして10:18スタートしました。
先ず、宇部市総合支所に寄ります。
旧山陽道の船木宿は本陣が置かれた所で、ここに宰判があったそうです。
またこの先に、「旅人荷付場跡」の看板があります。
ここから西に旧山陽道を進みます。
途中に「大木森住吉社」があります。
山の中にありますが、海上航路安全の神を祀っています。創建は文化11年(1814)です。
更に旧山陽道を進むと、国道2号線の茶屋交差点に来ました。ここから旧山陽道は国道の方へ。
ここで、旧山陽道を離れて交差点から県道30号線を南下します。
ここはもともと有帆川が流れていたそうですが、川の氾濫で蛇行していた所が真っ直ぐになったそうです。古地図を見ると、川が蛇行している事が分かります。
県道を進むと「来迎寺」(らいこうじ)が右手にあります。少し登ると山門が見えて来ました。
もみじが多いので秋は紅葉が綺麗で、紅葉谷庭園と呼ばれています。また、タブの巨木が有名です。
来迎寺を降り、県道を南下し新幹線の高架を潜ると、道は西へと大きく曲がります。と、その先に「瑞松庵」があります。
瑞松庵(ずいしょうあん)は、定庵殊禅(じょうあんしゅぜん)[1373〜1432]が石屋真梁(せきおくしんりょう)を拝請開山として応永24年(1417)に開いた曹洞宗の寺院です。瑞松庵山門は茅葺で、県道宇部船木線から境内への入口となる階段を上った場所に北を向いて建っています。山門は一間楼門で、門の左右には袖壁が付随しています。門の一階は、本柱、控柱を3段の貫で繋いでいます。二階は、桁行三間梁間三間でいずれも中央部を開放しているほか、縁にも禅宗の特徴がみられる高欄を廻らせています。門の二ヶ所に薩摩の領主島津氏の家紋を入れた彫刻が施されていますが、これは瑞松庵四世沖翁守邦が島津氏の出身であることに因んでいます。山門は、蔵重久兵衛が施主となり昭和12年5月18日に上棟したことが山門脇の石碑に刻まれています。蔵重久兵衛は江戸時代に本陣を務めたこともある家に生まれ、家業である呉服商や酒造業を営んでいました。また明治30年には船城銀行を設立して頭取に就任したほか、船木軽便鉄道の社長を務めるなど地域経済の中心人物として活躍しました。・・宇部市公式ウェブサイトより
山門は国の登録有形文化財に指定されています。
境内を散策して瑞松庵から次の「江汐公園」に向かいます。
県道30号線を南下、途中から有帆川を渡り、市道を西へ進むと右に「小野田・楠企業団地」を見て通る。
県道394号江汐公園線の交差点に出たら、向かい側が江汐公園の第二駐車場です。
ここでトイレ休憩。
お昼が近いですが、ここから反時計回りに江汐湖をくねくねと歩いて管理棟まで行きます。
12:20に管理棟に到着しました。ここで12:50まで昼食タイム。電車の時間に合わせて少し早めに出発します。
江汐の池は、毛利藩が有帆髙泊湾の干拓による髙泊開作400町歩の新田の灌漑用水溜池として、千崎高畑の三峡を堰止めて、寛文12年(1672)に築造した人造湖で、高畑部落の23町歩の田畑が湖底に沈み、満々と水を湛える池となりました。「江汐」は江の内の「江」と汐止めの「汐」の二文字をとって名付けられたといわれ、堤防は100mと短いが周囲が8キロメートルもあり、俗説に「宇部の常盤と千崎の江汐、股は百股、九十九浴、中に蛇がいる、鬼がいる」といわれるように湖岸線は屈曲に富んで、南北に長く、江汐、瀬戸、六斗の池が続いております。・・案内看板から抜粋
ツツジがとても綺麗でした。
食事も終わり小野田駅へと向かう。
県道349号線を南下、途中から市道を通り山陽自動車道の高架下を潜り県道71号小野田山陽線を進みます。
山陽本線の手前から市道に入り、東へ進路をを変え駅の手前の地下道を通って駅前に出る。
少し東へ進むと小野田駅です。13:35に無事全員帰って来ました。お疲れ様でした。