だから、ある時に母に言ったんです

『叔母は発達障害だよ。変化を嫌う事も、指摘される事に極端に弱い事も、片付けができないのも、人との関わりが苦手なのも』


『薄々は感じてたけど、この仕事を始めてから確信に変わった』



母の性格は、綺麗好きで几帳面で
明るく友好関係が広いです
60歳過ぎてから出来た友達も何人もいます

すご過ぎです………

ある程度
受け入れる事のできる性格ですので
人から信頼される人柄なのだと思います



そんな母も
叔母や姑について日々悩んでおり




私が小学生の時
いつものように朝
ヘアセットをしていた際に
姑(私からすると祖母)からグチグチと言われ
(内容は忘れた💦)

我慢しきれず泣き出した事がありました

それが、
私の見る、母の泣いてる初めての姿でした

だから、私もかなりショックで…
30年以上経った今でも覚えてるくらいですから…






祖母は私が小6の時に亡くなりましたが

私は祖母が大嫌いです 
だから
亡くなった時も、全く悲しい気持ちにはなりませんでした

可愛がってもらった記憶がひとつもありません

実際に
私達姉妹は可愛くない存在だったように思います

男の子が大好きで
歳の離れた(年上の)男のいとこがいるのですが
全然対応が違いました…

私達は一緒に住んでるからなのか?
いつも一緒だからか???


とも思いましたが
対応はあからさまです。

また、当時かなりの認知症だった祖母の介護を主にやっていたのは
実は祖母で
祖母はフルタイムで働いてましたから
朝と夜のトイレやお風呂の介助をやっていました
それは、娘の義務という感じてやっていたと思いますが、、、



ただ、その光景があまりにもショッキングで



朝の忙しい時間帯
叔母も朝早くに家を出ますから
それまでに祖母の身支度やトイレなどを済ませなくてはいけません

そうなると時間との勝負なので
叔母はヒステリックになるんです
怒鳴り声が朝から聞こえ
(これも、今思えば叔母の発達障害の特性だったと思います)
登校前からとても嫌な気分で
朝の時間帯がものすごくストレスでした

でも、日中はずっと
母と姑二人きりです

私が小学生の頃は
母は仕事を辞めて専業主婦をやっていました
祖母の事もあったのかもしれませんが

これも後から聞いた話ですが


妊娠後期まで仕事をしていた母は
出産して落ち着いてから
少しの時間でいいから
働きに出たい
と祖母に言ったそう


そしたら


『うちの息子に甲斐性ないのかい』

と怒られたそうです


そんな意味ではなく
お金の心配じゃなくて

母になっても社会に属していたい
っていう意味なんですが
大正生まれの祖母には理解できなかったようです



祖母と母
どんな風に日中過ごしてたのかなぁ…

聞いた事ないけど

怖くて聞けないけど