『理不尽ゲーム』サーシャ·フィリペンコ 奈倉有里訳
1999年のベラルーシ。群集事故に巻き込まれたフランツィスクは、昏睡状態となる。
奇跡を信じる祖母、しだいに諦めた母、最初から匙を投げた担当医。
そして10年後の2009年、奇跡的に目覚めたツィスクが見たのは、ひとりの大統領に全てを掌握された祖国と、理不尽な状況に疑問を持つことも許されない人々の姿だった。
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3月後半にたまたま、翻訳者の奈倉さんが書いた『夕暮れに夜明けの歌を』という本の書評を読みました。
その日のうちに近所の図書館で「なぐらゆり」で検索して(当館、貸出可が)ヒットしたのがこの本でした。
なお、数日後には『夕暮れに〜』を本屋さんで購入。読み終わって感想書きかけ状態です。
作者は1986年ベラルーシのミンスク生まれ。
私と同じくらいの歳。そして、チェルノブイリで原発事故があった年。
ちょっと前まで「ベラルーシ」と言われても「どこらへんだっけ」状態でしたが、さすがに今はすぐに「ロシアの西、ウクライナの北」という地図が浮かびます。
あと、大統領が割と独裁的な国だったっけ?
読む前の私の認識なんてその程度でした。
この本は、主人公が長い昏睡状態から目覚めるというフィクションですが、物語の中に出てくる事故や事件は実際に起こった出来事だそうです。
ベラルーシって、こんな感じなんだなぁ。と、なんともいえない気持ちになりました。
いくつか印象的だったことを。
作中でドイツ人夫妻がツィスクのお見舞いに訪れるエピソードがあります。ツィスクは毎年の夏休みをその夫妻の元で過ごしていました。
というのも、原発事故後、欧州はベラルーシの子ども達に療養休暇を提供したんだそうです。
そして、それに目をつけて、手数料で荒稼ぎするベラルーシの人も多かったらしいです。(よって原発事故に関係ない子ども達も欧州各国へ旅行に行けたし、ツィスクもそうだった)
へぇー!そうなんだ!そんなことがあったんだ…と思いました。
それから、「ドイツの両親」についてツィスクの祖母の複雑な心境が描かれていて、あぁーなるほど…と思いました。
これ、ウクライナでもそんな感じだったのかな?
「あたしたちは自分の国にいても移民みたいなもんだ。歴史のなりゆきでね。」
この祖母のセリフ重いなぁと思います。
「兄さん国家にとって俺らは人じゃない、近隣諸国との間に積んだ堆肥の山みたいなもんだ。(中略)念を入れて安全保障を完璧にするためなら隣国ひとつくらいはコマ扱いだ。」
目覚めたツィスクが「6時以降はWi-Fiが切れる」と聞かされる場面があって、マジか…と思いました。
(あと、10年寝てたので、当然ながらWi-Fiの説明もされる)
そして国営放送の嘘つき具合がまたすごい。
「この国の産業の大半は欧州連合の経済制裁の対象だからこそ、女はほとんど唯一残された商売道具なんだ。」
辛い。
大陸の真ん中で長期に渡り経済制裁を受けるということは、そういう側面もあるのかと、暗澹たる気持ちになりました。
セックスツーリズム大国かぁ…。
大統領がずっとその座に留まり続けていて、好き勝手していることに対して
「あるとき一度、このチームのコーチをしてくださいって言われただけなのに、このチームは自分の所有物だと思い込んでしまった。だけどそれは間違いだ。チームはサポーターのものだ。」
これすごくわかりやすい例えだと思いました。
"命だろうとなんだろうとあらゆるものごとが、政治がからんだ瞬間に価値を失ってしまう。"
すごい国だ…!
ふと、赤木さんの裁判が「認諾」であっけなく終わったことを思い出しました。
孤児院から引き取った子を簡単に返してしまえるの…。
私は、あらすじを読んでツィスクが目覚めると知っていても、奇跡を信じる祖母が憐れに思えることがありました。
けれど、最後の訳者解説で
ツィスクは「社会そのもの」で、いつか目覚めると信じた祖母や、諦めてしまい目覚めたツィスクに戸惑う母や、金にしか興味のない義父は、ベラルーシに生きる人々を反映しているとあり、あーなるほどと思いました。
希望を失わないことは時にとても難しいけれど、失ってしまったら、本当に終わりなんだなぁ。
たとえ滑稽にみえても、いつかきっとそうなると信じて、できることをやるしかないんだなぁと思わされました。
この本が日本で出たのが2021年3月(作者がロシア語で原書を出したのは2014年)。
本のページを捲ると最初に、2021年に書かれた作者からのメッセージがあります。
正直初めに読んだ時には、全然意味が分かっていませんでした。
最後まで読んだ後にメッセージを再読して、はじめて、あぁ~なるほど…確かにそうだろうなぁ、と深く納得しました。
そして、最後の一文に胸がつまる思いがしました。