はな と ゆう を想う | はな&ゆう の時代

はな&ゆう の時代

私たち夫婦と、はな と ゆう 二匹の猫との出会いから現在までを綴っています

今更ですが、このブログのタイトルは「はな&ゆう の時代」です。でも、はな との出会いから、はな、ゆう二人の埋葬までを綴り終えている今、当たり前ですが、二人に関しては、「そういえば、あんなことがあったな、こんなこともあったな」と思い出すことはあっても、新しい話題、新しい出来事が起こることはもうありません。

ですから、仕方のないこととは言え、そして寂しいことですが、最近は、墓参りや月命日の時以外は、ちゃちゃ、りん、ちび の話題が多くなっています。

 

 

でも、だからと言って、二人のことを思い出さない日は1日としてありません。何度も何度も思い出します。

朝晩、仏壇に線香を上げる時、部屋中に張り巡らしてある写真を目にする時、あるいは、りんを抱っこしながら、毎晩のように、はな を抱っこしながらアパートのベランダから外を眺めていたことを思い出したり、はなが亡くなった後の ゆう の寂しげな姿や、二人の最期の瞬間や、片道1時間の陽だまり動物病院へ通い続けた日々や・・・。

 

 

 

 

メールチェックをしていて何気なく送信済みのアイテムを覗いたら、2022年3月23日に「ゆう が亡くなりました」というタイトルのメールを目にして、はな も ゆう も居なくなって、どうしたら良いか分からない気持ちを抱えて過ごしていた当時のことを思い出したりもしました。

この3月23日という日付は、翌日に火葬を控えて「猫の姿をした ゆう 」と過ごした最後の日でもありました。

当時のことは、今思い出しても悲しくなります。

 

 

 

はな は生後1か月程度から、ゆう は2歳半程度の頃からですが、それ以降は最後まで「ウチの子」として生涯を過ごしました。

今、我が家には ちゃちゃ、もも、りん、ちび、そして外猫の しんちゃん が「ウチの猫」として暮らし、また暮らしていましたが、でも結局、最後まで「ウチの子」で居させてあげられる子は多分いません。

その意味では、やはり はな と ゆう は我が家にとって特別な猫だったのだと思います。

 

 

 

埋葬の日。墓苑で。

 

もちろん他の子達が可愛くないわけでは全くありませんが、私達の寿命ばかりはどうにもなりません。途中で面倒が見られなくなって中途半端な手放し方をするよりも、大事な存在であればこそ、なおさら、自分達がしっかりしている内に、信頼できる里親さんを見つけてあげたいと思っています。

 

 

 

 

 

でも、蔵ZENのマスターに言われました。

「Iさん、断腸の思いをすることになるよ」

その通りでしょうね。すでに、わずか2か月暮らしただけの もも でも、別れる時の寂しさは言葉になりませんでしたから。

でも、はな ゆう と違って、同じ空の下のどこかで生きている、と思えば、まだ我慢も出来るというものです。

 

・・・と言いつつ、里親探しを先延ばしにしている自分が居ます。