噂の始まりはこうだ。
ある日、この場所から道行く人を眺めていた女人。
すると突然一人の男性に目を奪われ、いてもたっていられず店の外に飛び出し、思わずその男の腕を掴んだ。
「ふぅん.....一目惚れね、あ、このお酒美味しい。」
然程興味のないウンスの意識は、八割方目の前に並べられた料理や酒に向かっている。
「それが、それだけじゃなかったんですよ、医仙様。」
一方のイナは酒より恋バナに夢中だ。
「へぇぇぇ、そうなの?ヨンジャさん、その干しタラ取ってくれる?」
「医仙様、話聞いてます?」
「聞いてる聞いてる、それで?」
「それで腕を掴まれた男も驚いて目を丸くしていたそうなんですが、なんと、その男と女は幼馴染で、どちらも初恋の相手だったらしく、再会した瞬間『これは運命だ』と、翌日には婚儀を上げてしまったそうなんです、これって奇跡だと思いませんか?」
「う~ん、そう?」
「そうですよ、その話が広まってから、この店は『運命の相手に出会える奇跡の場所』と言われて都の女人がそ押し掛けるようになったんです。」
「話が随分着色されているように聞こえるけど、それって、たまたまじゃないの?」
「たまたまですか?」
「うん、だってその女性はここで男性を物色...あ、表現が悪いわね、えっと、誰か素敵な人がいないかなって見ていたわけでしょ?それでたまたま見かけた男性に興味が沸いて声を掛けた、まあ俗に言う逆ナンパ?」
「ぎゃくなんぱ?」
「あ、女性から男性に声を掛けることね、暇だったら私とお茶しない~みたいな?」
「はあ..」
「それがたまたま幼馴染の男性だったってだけで、結局その女性の好みって昔も今も変わらないってことじゃない?」
「まあ、それはそうですが...」
ウンスの言葉ですっかり意気消沈したイナ。
あれれ、変な話ししちゃったかな......
「あ、でも女性が出会いの場を求めるのは大賛成よ、しきたりや習わしに縛られて恋をしないなんて人生つまらないじゃない?」
場の空気を曇らせた原因が自分にあると思ったウンスは、慌てて軌道修正を図った。
「医仙様もそう思いますか?そうですよね、女の私達が出会いの機会を探したっていいですよね?」
功を奏し、イナの表情が一気に明るくなる。
「うん、思う思う、女性はもっと積極的になるべきよ、運命の相手に出会える場所なんて最高じゃない。」
「ですよね?」
「うんうん、運命、最高~!」
カチャッと杯を合わせ盛り上がる四人。
「どころで、医仙様は運命の相手だと思う殿方に出会ったことはありますか?」
ボアが遠慮がちに聞いてくる。
「ないない、出会ってたら今頃結婚してるでしょう?」
「ですよね~」
「でも、因縁の相手には出会った.....かな?」
因縁の相手?
それは誰だ?
まさか......と三人は無言で顔を見合わせる。
「私だって出会いがなかったわけじゃないの、ヒック......ただ、こうグッと惹かれるものがなかったっていうか、まあ余計な男に引かれてここに来ちゃったけどね...ヒック、なんちゃって、ははは。」
余計な男?
それってやっぱり.......
三人はゴクッと息を呑んだ。
「ほら、見て見て、道を歩く男性が....ヒック....皆こっちをチラチラ見てない?」
酔いが回り大胆になったウンスは見ず知らずの男に手を振り始める。
「そりゃあ、運命の相手に出会いたいと思っているのは女人ばかりではありませんから。」
恥ずかしそうに身を隠すボア。
「そうそう、噂を知る殿方はおめかしして、日に何度もここを通るんですよ。」
一方のイナは男性の視線を気にして、終始綺麗な笑顔を意識していた。
「まあ、そこまではどうかと思いますが、たくさん集まることは確かです。」
ウンス同様興味のないヨンジャは豪快に酒を煽っている。
「へえ~、ヒック.....」
怪しい目つきになってきたウンスを前に、三人はそろそろ帰った方がよさそうだと無言で頷き合う。
ちょうど陽も西に傾き始め、解散には頃合いがよいと年長者のヨンジャが切り出した。
「医仙様、そろそろ....」
「決めた!!」
そう言って、突然立ち上がったウンス。
ふら付きながらも拳を固く握りしめる。
「私も運命を信じる!!」
「へっ?」
「見てて、今から店を出て初めに会った男性に声を掛けるから!!」
「医仙様、本気ですか?!」
「本気も本気、ヒック......その人が私の運命の相手だと信じる!」
「おじいちゃんかもしれませんよ?」
「平気、ヒック.....お金持ちだったら......ヒック......財産、いや茶飲み友達にはなるわ。」
「既婚者だったらどうするんですか?」
「....それはダメ....かな....」
ワントーン勢いを落としたウンスを見て三人はホッと胸を撫で下ろす。
「ですよ、そんな馬鹿なことはやめましょう医仙様。」
「そうですよ、行き当たりばったりじゃ、まるで賭けじゃないですか。」
酔ったウンスの行動を止めようとする三人。
「じゃあ、そろそろか...」
解散、と言おうとした矢先だった。
「でも大丈夫、今まで出会いがなかったのは....ヒック.....私に勇気がなかったからよ、だから勇気を出してぶつかってみる!私、運命を信じるわ!!」
「えっ?!」
そう言うと、ウンスは三人の制止を振り切り駈け出した。
「医仙様、お待ちください!」
途中何度もふら付き、人とぶつかっては頭をぺこぺこ下げ(本当にぶつかってると突っ込みを入れそうになった)、階段から足を踏み外しそうになりながら、なんとか店の入り口に辿り着く。
「医仙様、駄目です!」
まず、護衛のボアが追い着いた。
「い、医仙様、ば、馬鹿なことはやめてください。」
大きな身体を揺らしたヨンジャは息も絶え絶えだ。
「そうです、医仙様にはもっとふさわしい方がいるじゃありませんか?」
興味を引きそうな言葉でウンスを止めようとするイナ。
「ううん、ヒック.........とめないで、これが私の運命なの。」
酔った勢いとはよく言ったものだ、三人が止めるのも聞かず満面の笑みで店の外に飛び出したウンス。
「医仙様!!」
慌てて追いかける三人。
だが次の瞬間、三人が見たものはあっけない幕引きだった。
「医仙........あなたという方は.....」
「げっ!」
ヨンに腕をがっちり掴まれたウンス。
「黙って王宮を抜け出したと思えば、酒まで....」
怒り心頭のヨン。
「医仙様、ずいぶん探しました、ご無事で何よりです。」
何処からともなく集まる迂達赤兵。
「は、離してよぉ.....ヒック..」
ヨンの腕から逃れようと暴れるウンス。
「いったいどれだけ飲んだのです?」
ヨンは申し訳なさそうに立っている三人に鋭い視線を向けた。
綺麗な顔だけに、その迫力は並の人の数倍はある。
「うるさいわね、ヒック.....少しだけじゃない.....」
「これのどこが少しですか?」
「いいじゃない...ヒック....私の勝手よ。」
「勝手は許しません!」
「ヒック....は・な・し・て!」
「言う事を聞かぬのなら縛り上げますよ。」
「離してってば!!」
「離しません!」
「私の運命が逃げちゃうじゃない!!」
「運命?何を訳の分からぬことを。」
「ぎゃあ――!離せ、暴君!!」
「撤収!!」
「は!」
ヨンは暴れるウンスを軽々肩に担ぎ王宮に向かって歩き出す。
護るように二人の周りを囲む紺色の集団。
その後姿に熱い視線を送る女人達。
「やっぱり医仙様の運命の相手は....」
イナはくすくすと愉快そうに笑っている。
「まあ、運命も因縁も似たようなものさ。」
腕を組んで豪快に笑うヨンジャ。
「医仙様、とうとう捕まっちゃいましたね、運命の相手に。」
二人の姿を羨ましそうに見つめるボア。
それは、まるで夏の夕立のような光景だった。
一瞬で人々の渇きを潤し、一瞬で人々の心を癒す。
「まあ、それが運命ですから。」
「じゃあ私達も。」
三人は肩を並べて歩き出した。
いつか出会うだろう運命の相手を思い描いて。
END
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