微かに聞こえていた声が、やがて荒波のように押し寄せる。

「テジャン、叫び声じゃない?」

戸惑うウンスの問い。

そして苛立ちを含むヨンの声。

「・・早すぎる。」

「テジャン?」

ヨンは唇を噛み締め、名残惜しそうにウンスの唇に触れた。

「医仙、急いでください。」

今度は自分で解いた彼女の着物の紐を、慣れぬ手付きで結び始める。

「えっ、どうしたの?」

「紐が上手く結べません。」

「あ、えっと・・紐って?」

意味が分からず呆然とするウンスだったが、気付けば自分は裸も同然。

彼女は真っ赤に頬を染め、慌てて彼の手から紐を奪った。

急げと言う割には、じっと自分を見つめているヨン。

「なに?」

「いえ、手伝うことは。」

「手伝うって・・」

自分が脱がせたから、だとでも言いたいのだろうか。

身体を重ねた仲なら、ふざけ半分で「じゃあ、お願い」とも言えるだろう。

だが、まだ心も体も赤の他人だ。

気軽に着替えを頼むほど無神経な女じゃない。

「結構よ、恥ずかしいから、あっち向いていて。」

「はい。」

ウンスの気持ちを察した彼は、素直に従い背を向ける。

彼女は寝台から下りると、急いで身なりを整えた。

その間も外の騒ぎが止むことはない。

それどころか叫び声に混じり、剣のぶつかり合う音も聞こえ始めた。

もうウンスでさえ分かる、近くで戦いが始まっているのだ。

「テジャン、いいわよ。」

彼女の返事を聞くと、ヨンはすかさず動きだす。

「お急ぎを。」

「何処に行くの?」

「村を出ます。」

「えっ、いま?」

「はい。」

強引に手を引かれたウンスは、訳が分からないまま小走りで付いて行く。

やっと状況が呑み込めたのは、外へと続く扉を開けた時だった。

 

 

おびただしい数の松明の炎。

その灯りに照らされて動く人の影。

叫び声と共に火の粉が天に舞い上がる。

 

聞き覚えのある声だった。

見覚えのある影だった。

忘れるはずがない、闇に溶ける濃紺の衣。

「迂達赤?」

「はい、チュンソク達がやっと来たようです。さあ、安全な場所にお連れします。」

雪の降る闇の中、ヨンはウンスを連れて歩き出そうとする。

だがウンスの足は動かない。

「ちょっと待って!」

「医仙?」

やっと帰れると聞いても、嬉しいという気持ちより先に疑問が次々と頭に浮かぶ。

「どうして此処が分かったの?」

彼らとはぐれて随分時間が経っている。

雪で私達の足跡は消されていたはずだ。

遭難覚悟で山の中を捜索してくれたのだろうか。

いや、それでも目印になる様な物がなければ、到底この村に辿り着けるとは思えない。

「ねえ、まさか・・初めからこの村の事を知っていたの?」

リュウさん達を捕らえるための・・芝居?

「医仙?」

ウンスはヨンを見つめて微動だにしない。

いや動けない。

「私も騙したの?」

「誤解です、ですが、今は説明する暇がありません。さあ、彼らに見つからぬうちに村の外へ。」

考えてみれば、初めから変だった。

離れるなと言いながら、時折姿を消していたこと。

熊が現れた時だって・・

「それも嘘なの?熊なんて初めからいなかったの?」

リュウさん達を脅えさせ、村の中に閉じ込める作戦?

確かに、毎日見張りを続けていた彼らは疲れている。

戦う様子を見ても一目瞭然だ。

兵達に次々と追い詰められ、逃げ惑う村人達。

「医仙、話はあとに。」

「まさか、リンさん達も?」

「女や子供にまで刃を向ける者はおりません、そのような心配より、ご自身の身の安全を考えてください、さあ。」

ヨンがウンスの手を掴み、走り出そうとしたその時。

 

「テ、テジャン!!」

 

頭上の木の上。

小猿のように木の枝から飛び降りた少年は、頭から雪まみれになりながら嬉しそうに笑った。

「テマン君?」

「は、はい、医仙様。」

それを皮切りに、兵達が次々と駆けて来る。

「テジャン!医仙様!!」

「ご無事ですか?!」

 

「チュンソクさん、トクマン君、みんな・・」

腑に落ちないものの、立ち並ぶ懐かしい顔ぶれを前に、ウンスはホッと安堵の息を吐く。

「隊長、医仙様、遅くなって申し訳ありません。」

チュンソクは白い息を吐きながら二人の前で頭を垂れた。

「チュンソク、状況は?」

「は、隊長の予想通り、奴らは逃げ道を確保しておりました。捕らえようにも巧みに逃げられてしまいます。」

「そうか、深追いはするな。この雪と闇では我々の方が危険だ。」

「承知しました。」

「それから村の中をくまなく調べろ、奴らの窃盗の証拠があるはずだ。」

「はい、既に別の隊が調べを始めています。」

「それから、テマン。」

「は、はい!」

久々に主人の元に戻ったテマンは、興奮した様子でヨンを見つめていた。

「お前はトクマンと一緒に医仙を護り、安全な場所までお連れしろ。」

「い、医仙様を安全な場所へ?」

「そうだ、奴らの目の届かぬ村の外へ行け。」

「は、はい!」

 

「医仙、お聞きの通りです、トクマン達と一緒に・」

ヨンはウンスの様子を確認しようと振り向いた。

「医仙?」

だが、自分の背後に居たはずのウンスの姿は見当たらない。

「医仙様?!」

チュンソクもトクマンも、テマンでさえ気付かなかった。

 

「医仙様、何処ですか?!」

「医仙様――?!」

声も・・

「医仙様?!」

「返事をしてください?!」

香りさえ残さず・・

 

まるで深い闇に溶け込む様に、ウンスの姿は忽然と消えた。

 

 

 

 

 

「ウンス――!?」

 

 

そしてヨンの悲痛な叫び声も、深い闇の中に沈んだ。

 

 

 

 

                                       

 

 

 

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