気忙しい冬の太陽は、あっという間に西に傾き。
二人が湯殿を出る頃には、屋敷の影を大きくしていた。
「はあ・・」
「大丈夫ですか?」
「うん、何とか・・」
屋敷の縁側で、ウンスは横になっていた。
どうやら湯にのぼせたらしい。
「湯にですか?」
「もう!」
ウンスは、からかうヨンの膝を叩いた。
膝枕をしてくれる夫にも容赦はない。
「誰のせいよ・・まったく・・」
言葉とは裏腹に、気持ちよさそうに彼の膝に頬を摺り寄せる。
その彼女の髪を、ヨンは優しくかき上げていた。
「体が冷えてしまいます、そろそろ中に入りましょう。」
「大丈夫、もう少しだけ、このままでいたいの。」
静かだった。
冴えた空気。
頬をさす冷たい風。
今この瞬間、この世界には私達だけ。
そんな錯覚に陥りそうだ。
彼の膝枕で、温かい腕を布団代わりに・・このまま眠りたい・・
「死にますよ。」
「もう、分かってるわよ!」
ロマンの欠片もないヨンの言葉を聞いて、彼女は跳ね起きた。
「何なの?せっかく余韻に浸ってたのに。」
「何の余韻ですか?」
「え、それは、その・・」
治まり掛けた身体の熱が、心臓の鼓動で目を覚ます。
熱い血が、再び流れそうだった。
「腹が空きませんか?」
「あ、そういえば・・」
遅い朝餉を食べた後、何も口にしていない。
ウンスは今まで忘れていた事に驚いている。
一方、緩んだ口元が、さらに緩むヨン。
「何よ?」
「いいえ、何でもありません。」
彼は心の中で思った。
はじめて自分が食い物に勝ったと・・
「駄目!思い出したら我慢出来ない、お腹ペコペコよ、何か食べよう!」
「はい。」
「あ、でも、あるかな?マンボ姐さんの店にでも行く?」
立ち上がり、屋敷の中に入ろうとしたウンスは、足を止めた。
「その心配は無用かと・・」
「どうして?」
ヨンは苦笑いを浮かべている。
彼の様子を見て、ウンスは不思議そうに首を傾げた。
そんな時だった。
「旦那様、そろそろ門を閉めてもよろしいでしょうか?」
「えっ?きゃあ!!」
「危ない!!」
突然、庭先から聞こえる声。
驚いて振り返ったウンスは、その勢いで縁側から転げ落ちそうになった。
「まったく、あなたは・・」
寸での所で彼女の身体を受け止めたヨンは、大きく息を吐く。
「えっ、だって・・あれ?どうして?」
誰も居ないはずの屋敷・・そう思っていたのに・・
「ああ、構わない。」
ヨンの返事を聞いて、使用人の男はぺこりと頭を下げ、そそくさと庭を駆けて行く。
そして周りを見渡せば・・
日暮れを前に、灯りを準備する者。
夜の寒さに備え、薪を運ぶ者。
そして屋敷の奥からは、美味しそうな匂いが・・
「ええっ?!どうして・・一体いつから?」
訳の分からないウンスは、口をパクパク動かしている。
「湯殿を出た頃かと・・」
「嘘?!」
平然と答える彼の顔を、まじまじと見つめる。
まさか、皆がいる屋敷で、あんな・・
「ヨン!!」
「わざとではありません。」
「信じられない…」
彼に愛されて熱くなった身体が、今度は恥ずかしさで熱を帯びる。
「もう消えたい・・」
「ウンス?」
屋敷には、いつも日常が戻っていた。
冬の短い日差しは、茜色に姿を変え。
日暮れの忙しさが、人々を追い立てている。
「冷えて参りました、そろそろ中へお入りください、お腹がお空きでしょう?夕餉の支度が出来ております。」
聞き慣れたハルの声が聞こえた。
「ハルさん・・」
ウンスは思わず彼女に駆け寄る。
「奥様、どうなさいました?」
突然抱き付かれたハルは、ウンスの背中を優しく叩いた。
「だって・・」
「さあ、さあ、体が冷えますよ、中へ。」
「うん・・」
ハルに促され、やっとウンスは顔を上げる。
そして彼女と一緒に屋敷の中に向かった。
ヨンは二人の姿を笑顔で見つめている。
ハルの次の言葉を聞くまでは・・
「旦那様、着物の紐が切れておりますが・・」
いつもと変わらない日常。
いつもと変わらない人々。
だが、以前とはまるで違う日々。
天女が舞い降りた屋敷には、笑顔と笑い声が満ちていた・・
大護軍の花嫁(番外編) ~チェ家に日々~ end
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