1972年(昭和47年)東京荻窪のアパートを出発して青梅街道をひたすら歩き、
6月7日笛吹川の夜の川原の中洲は静かで邪魔なものはなく、ぐっすり眠れたがなんだか夢なのかチャプチャプと音がしてきた。
なんだろうと思ったら川の水がテントに入るところまで来ていた。周りを見ても濁流であり、完全に中洲に取り残された。浅瀬だと思われるところを探そうとしたが、河川の上流には大きな岩と石だけで飛び飛びしながら水をこぎながらようやく脱出出来た。
前日の山の雨が上流では短時間で水かさが増してくることは、今考えると当たり前のことである。大いに反省した。危うく濁流に飲み込まれ、行方不明者の一人になるところであった。
6月8日は雨のち晴れであったが、旅館に泊まるような旅ではなかったが、気分転換ということで温泉に入り、ゆっくり休もうと湯村温泉つるや旅館に泊まった1泊3060円であった。
6月9日千代田湖という人造湖畔のほとりでテントを張った。
6月10日に茅野駅まで歩き駅構内のベンチにてねむる。当時は登山のグループが新宿から夜行で来るので早朝まで、それに紛れ込んでも全く不審者ではなく、溶け合っていた。登山者のように駅で着替えしたり用をたして、白樺湖まで歩いた。快晴だった。白樺湖キャンプ場料金1日100円。
6月14日(水)には東京からきたという、いかにも登山者と格好できた真面目な同年代の会社員と山に登ることになったが、食料は用意していない、その日限りの登山者であった。一泊で帰っていった。
6月15日白樺湖より移動。
6月16日(金)は霧ヶ峰キャンプ場。
6月17日には松本駅に行った。
白樺湖キャンプ場にテントを張っているころには、本格的な梅雨の季節になり、毎日雨が降っていて、やることといえばテントの中で、ジーンズのすりきれたところを縫ったりするだけ、毎日テントにいるので、管理人が不審がってか、心配になったのか、というのも土、日曜日だけでなく平日にテントを張っていること自体、おかしいと思われてもしかたがなかった。
この旅の目的は東京脱出ということだけで、どこにいこうかという目的地もなかったが、日本海側にでようということで、
6月18日松本駅より歩かず電車にのる。糸魚川駅行きの大糸線朝9時ころ乗って夕方前にはついた。いよいよ新潟県にはいり姫川の川原にて野宿ということにした。
6月19日には富山駅まで歩き、富山駅構内ベンチにて一泊。次の日高岡駅まで80円でいき高岡駅構内ベンチにて一泊。
6月21日(水)松太枝浜キャンプ場というところでテントを張る。6月30日まで10日間もいた。さすが不審者ということが伝わっていたらしく、6月26日テントに刑事が来て職務質問にあった。そりゃそうだろと思った。
最近になってわかったことは70年代の後半頃にあった「拉致未遂事件」なる場所だった。
30日までキャンプ場にいた。黒の野良猫もいた。この間高岡市内に買い出し。
※以下ウィッキより
1978年(昭和53年)8月15日夕方5時すぎ、富山県高岡市の雨晴海岸(島尾海岸)で松林のなかを散歩していたアベックが4人組の男性に襲われる事件が起こった。