
そしてヒラサキ氏が「にんにく」とどのように関係して来たのかを探ってみる。
1922年(大正11年)ヒラサキ青年は、ミリピタスとギルロイに800エーカーの農地をもっていたルイ・キンバリン農場で働いていたときに、現在のギルロイダウンタウンを通っているモンタレイストリートの東に当たるエルラーガス小川沿いの沼地とミラー沼地を開拓して、農産物栽培の植え付け収穫していた。
22才になったヒラサキ青年は、他のたくさんの日本人移民たちのように、一生懸命に働き500エーカーの土地を手に入れて、この土地を農地に変えた。
この当時の「にんにく」の植え付け収穫は、いわゆる「粗放農法」によって、主にカリフォルニアの南部にて生産されていた。
「ジェントリーフーズ」社の重役ジョージ・クローセン氏はヒラサキ青年と知り合いであり、その彼からギルロイにてにんにくの植え付け生産してみたら、と提案された。
(注:1エーカーは約40アールで約4反になる。)
(ミラー沼地: the Gilroy Planning Area bounded on the east by Monterey Street, the Miller Slough drainage channel on the west, and extending 1000 feet to the north and south of Welburn Avenue.
(キンブリン社:The Kimberlin Company--C. R., L. M. and J. L. Kimberlin--controls about 800 acres, the farms being in Milpitas and Gilroy. Like the other companies, the seeds grown have the whole world as a market.
(ジェントリー社)現McCormick & Companyになっているが、 Gentry Foodsはギルロイフーズに売却、その後Gilroy Foods of Gilroy, California became a wholly owned subsidiary in 1961.