ギルロイ市議会議員は7名(市長はその中に含む)議場は議員と聴衆する市民と対面するという作りになっている。通常議会は夜に開かれ市民が参加できる時間帯にて開催されるとの説明があった。アメリカの地方議会制度は、ボランティアが基本とされるので、ギルロイ市当時20000人の人口にても議員数は7人(奇数)で、議員報酬はというと日本の町議会議員の半分以下だという説明もうけた。
さすがこれには「日本ではできないだろ」という議長。田子町当時人口約8000人は町議会議員数18名
この姉妹都市締結を推し進めた共通のテーマは『にんにく』という農産物であった。しかしこれを『縁』とするには、アメリカと日本の歴史をもっとさかのぼる必要があった。
この日ギルロイ市の博物館を見学したときに見せられた戦前の新聞(地元デスパッチ紙)には、びっくりするような記事が載っていた。日本生れのジミーヒラサキ(平崎 清)という名の記事であった。1930年代当時『ガーリックキング』といわれているとあった。まったく知らなかった。
自分自身をふりかえってみた。1978年3月カメラをかついで、ロスアンジェルス空港に降りた。アンセル・アダムスのモノクロームの写真と日系人の歴史に関心があり、日系人が収容されていた「マンザナ」の跡地を取材したことを。
それから10年経って、ここに「にんにく」という共通のことで、再度アメリカに引き寄せられてきたのかと思った。
この日ギルロイ市議会にて姉妹都市締結調印してから、夕食会に招待された。
※「ガーリックキング物語」は当ブログ2011年1月16日から載せてあります。



















レストランにて




※こうゆう日米の歴史を踏まえての姉妹都市締結であった。
http://modernfarmer.com/2015/10/japanese-american-internment-camps/
※アンセルアダムスの写真とは
http://www.skirball.org/exhibitions/manzanar-ansel-adams