1988年4月16日ギルロイ市 | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

1988年4月15日に田子町長、議長、課長、にんにく部会長とともにギルロイ市に入り、16日土曜日にはダウンタウンにて「エキスポ88」が開催され、招待をうけた。
 後日、市役所にて、ロベルタヒューワンギルロイ市長から、「ギルロイダウンタウン再開発プラン」の青写真設計図を見せてもらった。87年田子町に来町したおりに、新街区にオープンしたばかりのサンモールたっこ商店街も見学していったと、当時商工会青年部長という肩書きもあったので、商工会議所副会頭のデイブブシャード氏が市長に紹介していたようであった。
 規模地理的なものは違うが「開発によって活性化」ということは、国は違えども同じ悩みであることがわかった。ギルロイの場合は旧市役所の建物自体1907年設立ということで、その旧市役所の建物を核として作られた街であった。
メインストリートのモンタレーSTを通り過ぎている車を停車させるには、問題があった。そこで古い店舗を生かしパーキングスペースをもうけるためには、旧道は狭かった。その後やったことは駐車をできように一車線をつぶしカーブするようにし、車のスピードを抑えることも考えられていた。アメリカの問題は空き店舗になると、治安が悪くなり加速度的に街に寄り付かなくなり最終的に「悪の巣」状態になるという典型的な図式がある。

日本がアメリカの生活に憧れていたのは1960年代であった。テレビからであったが。
アメリカの典型的田舎街の問題はその50年代の街をどのようにいかすのか、ということであった。

1985年のカリフォルニア州ヒルバレーという町に住んでいた主人公が、30年前の1955年にタイムスリップしてしまう。
という「バックトーザフィーチャー」の映画をみると。


ギルロイ地元紙のインタビューで、テッド内田氏が対応してくれました。町長と議長に
田子のぐだめぎ(愚駄目技)
ギルロイ地元紙のインタビューで、テッド内田氏が対応してくれました。町長と議長に
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ギルロイ地元紙のインタビューで、テッド内田氏が対応してくれました。町長と議長に
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ギルロイ市会議員のあいさつ
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日系人協会よりあいさつ 藤村議長のあいさつにテッド内田訳
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渡部町長のあいさつ    
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藤村議長のあいさつ
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渡部町長のあいさつ  テッド内田のあいさつ
田子のぐだめぎ(愚駄目技)田子のぐだめぎ(愚駄目技)
ヒューワンギルロイ市長のあいさつ
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昨年度1987年のガーリック女王 ジェニファーさん
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議長のあいさつ
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田子町からあいさつ
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ギルロイ市長のあいさつ
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