
テッド内田氏が責任者で寿司ブースを出していたので、田子町から行った提言コンクール「妻たちの夢」事業にて参加した妻たちはボランティア体験をして手伝った。

テッド内田氏が責任者で寿司ブースを出していた。

1990年ギルロイガーリックフェスティバルのプログラム

1990年実行委員長のサムボゾ氏テーマカラーは緑です。

1990年ギルロイガーリックフェスティバルのプログラム。実行委員会のメンバーです。副委員長が次年度に委員長になる。ジーンサカハラ氏が1991年の委員長に。

ガーリックフェステバルが募集してアートポスターの受賞者には$500の賞金を、印刷して$5で販売します。また公式ポスターは$3ということで、毎年テーマの色が違います。コレクターアイテムとなりました。このことは日本いや田子でも取り入れて欲しいものですが、日本ではポスターは無料ということから、この考えを広めるのには


実行委員のメンバーたちです。すべての役目が分担され、効率よく組織されています。田子町のにんにくとべごまつりでも、このように委員を組織しようと提案されています。



1990年クイーンのキンバリー・ヤフィさん

クイーンコンンテストは4月14日にガビランカレッジのホールにて開催し、7人エントリーし、選ばれた。奨学金をいただきました。


ガーリックフェスティバルの併催イベントは、ダンス、自転車、マラソン、テニス、ゴルフ等で7月の第4週のまつりにむけ盛り上げています。

ギルロイが全米から注目され成功している祭りになっているのは、主役がボランティアなのです。1989年10月に決算をして合計261,868ドルを計上しています。


