ニュースはどうあるべき? | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

テレビのニュースを信じていた人たち(大多数の日本人)
ネットでニュースを見る人たち(ほんの少数の日本人)とすれば、テレビは大多数にあわせて製作している。しかしこの発言がネットで拾われなかったら、尖閣のビデオと同じで、全く判断できずに、テレビの孤面停田のいうことを信じてしまうのだろう。今回のことは、いかに大手のテレビ局のニュースが信用できないかをわかってしまった。これを繰り返して流されたままのニュースをあたかも真実?と感違えしていたとしたら・・・。
ネットがようやく大人に成長してきた証拠であろうか。ということはテレビ局のニュースもネットによって体質まで暴きだされてしまった。
中近東アフリカ東欧で起こっていることが日本に飛び火した格好となった。

 「これはオ〇〇コだから、書いたらその社は〇〇〇だから」と発言したものがテレビ局新聞社等が自身に向けた圧力と感じ、全く削除編集していたことが分かってしまった。
普段こういうことに対しては「正義の味方」と思っていた購読者及び視聴者を裏切ったことも明らかになった。ということはダークサイドに対しては庶民の味方では無いというスタンスで見なければならなくなった。
「権力をふりかざした」とする場面をネットにて見ることが出来た。これはあたかもテレビ創成期、日本の経済成長している時に視聴率をはじき出していたテレビ番組「完全懲悪の時代劇」のように誰かが番組残り15分で登場して欲しいと思ったはず。あの悪代官を懲らしめてと願ったはず。お茶の間のテレビの前に期待されていることが、ネットの時代になり「コメント」として直活字として現れることに対して、今の若者が団塊の世代のオヤジ達よりも健全になったということであろう。グッド!
 
 1970年東京でデモ隊の写真を撮ろうと構えただけで「フィルムだせよ」と脅かされたことを思い出す。彼らは今や60代から65代のいわゆる団塊の世代であった。叫び