再び | 田子町のにんにくブログ TakkoAomoriJapan

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青森県田子町は「にんにく」で有名になった。これはアメリカカリフォルニア州ギルロイ市と1988年姉妹都市締結したことで広く知られることになった。『にんにくの縁』は100年さかのぼることができる。それを知って欲しい。

今から142年前の慶応4年が明治元年。
国難のとき争っていた「薩長土肥」の軍と奥州をまとめようとした「奥羽越列藩同盟」の軍が戦いになり、その年9月に明治となった。

 時代は因縁というものに振り回されることもあるようだ。
同じような(無理にこじつけ)戦いが平成の世に、長州を親分とする軍と奥州を親分とする軍の戦いも9月に決着するという。

しかしその戦いが終わったとしても、新しい時代が来るわけではないのは、誰もが想像する。
この無益な戦いをしている根底には何があるのだろう。

両者「国のため」と言っていることが「嘘のように」聞こえるのは、この両者の生きてきた証(何をしてきたか、何を発言してきたか)がわかるからであり、昔のように力(金)でねじ伏せるような時代でもなく、また嘘を隠し通せるわけでもない時代なのに・・・

時代背景も似ているのだろうか。当時欧米列強が中国大陸および東南アジアを「力」で思うままにしようとし始めた。北からロシアも南下しようとしていた。叫び

ところで国勢調査ということばを「センサス」と言い換えていますが、担当は総務省統計局。
戸籍扱いは法務局。以下ウィキペデアよりコピペ
大正 9年(1920年)国勢調査(第 1回)(大規模調査) 5596万3053人
大正14年(1925年)国勢調査(第 2回)(簡易調査) 5973万6822人
昭和 5年(1930年)国勢調査(第 3回)(大規模調査) 6445万0005人
昭和10年(1935年)国勢調査(第 4回)(簡易調査) 6925万4148人
昭和15年(1940年)国勢調査(第 5回)(大規模調査) 7311万4308人
昭和22年(1947年)臨時国勢調査(第 6回)(臨時調査) 7810万1473人
昭和25年(1950年)国勢調査(第 7回)(大規模調査) 8319万9637人
昭和30年(1955年)国勢調査(第 8回)(簡易調査) 8927万5529人
昭和35年(1960年)国勢調査(第 9回)(大規模調査) 9341万8501人
昭和40年(1965年)国勢調査(第10回)(簡易調査) 9827万4961人
昭和45年(1970年)国勢調査(第11回)(大規模調査) 1億0372万0060人
昭和50年(1975年)国勢調査(第12回)(簡易調査) 1億1193万9643人
昭和55年(1980年)国勢調査(第13回)(大規模調査) 1億1706万0396人
昭和60年(1985年)国勢調査(第14回)(簡易調査) 1億2104万8923人
平成 2年(1990年)国勢調査(第15回)(大規模調査) 1億2361万1167人
平成 7年(1995年)国勢調査(第16回)(簡易調査) 1億2557万0246人
平成12年(2000年)国勢調査(第17回)(大規模調査) 1億2692万5843人(80年間で約2.3倍)
平成17年(2005年)国勢調査(第18回)(簡易調査) 1億2776万7994人
平成22年(2010年)国勢調査(第19回)(大規模調査) 実施準備中
このほか戦中・戦後、軍需関連に要する人員の確保や必需物資の配給統制の確立を目的として、人口調査が実施された。これらは「国勢調査」とは称されなかったが、人口及び世帯に関する全数調査を実施したという点で、センサスである。

昭和19年(1944年)2月22日調 人口調査 7345万6141人
昭和20年(1945年)11月1日調 人口調査 7199万8104人
昭和21年(1946年)4月26日調 人口調査 7311万4136人
昭和23年(1948年)8月1日調 常住人口調査 8021万6896人

とあり、この人口統計とはべつに、江戸時代生まれの人が存在すると言うのは戸籍上。
結局取り扱う官庁が違うから「長寿」の問題とは別だということを言っている。えっ

問題は「国の信用信頼」が揺らいでいることで、「日本国」の実情が「どうでもいい状態」であるならば、他の国のことをとやかく言えなくなる。にひひ