

「過去のことを振り返らず、前向きに行け」と若いときはいわれたものですが、しかし、ある年になると、昔を振り返るのは普通のことであり正常な行為です。
しかし、人には思い出したくない過去もあるのですが、団体で活動してきたものたちにとっては、その連帯した若いときを懐かしむことが、次の将来のために子供達に残していける財産であるのですが。
戦後の復興期に作られた法律に基づき昭和30年代に作られた全国の「商工会」は同じく50周年をむかえます、田子町商工会も50周年ということで、諸先輩方の活動を記録しようとしたときに、その過去の記録(写真等)が存在していなかったとしたら、それぞれの生きた証がなくなっていたとしたら、そのようなずさんな管理をしていたとしたら、・・・考えるだけで「ゾー」としてきます。

ある会社の70代以降の社長個人の頭に去来するものは「日本の敗戦」を子供なりに理解することだ出来たとしても、昭和20年代の記憶は、「腹を減らしたことだけ」。昭和30年代の「物を持ってくればどんどん売れた時代。昭和40年代の「皆が生き生きしていた時代」。昭和50年代の「先進地視察と称して、全国津々浦々旅行し飲めや歌えやの時代」。昭和60年から平成に変わる時代などなど、が記憶として存在はするだろうけれども、
このことは「三丁目の夕日」として、日本全国市町村の商業は同じような歩みをしたことではあろうが、しかし、そのことを「日本の田子町の商工会の歴史」として共有し記録を残しておくことは出来ないものだろうか。

現在自分が存在するのは、たった50年の歴史をだけではなく、その昔をたどれば「この地においての存在」があるはずであるの歴史をだけではなく、その昔をたどれば「この地においての存在」があるはずである。
田子町の「光ケーブル」による「光ネット」が今週以降にスタートするようであるが
、この新しい時代のツールを生かすことができるかは、その町の取り組む姿勢により生かされる。しかし、どうしても「新しいことだから」といいわけして、よそから諸先生を呼んで話を聞かせようとし、それに伴う高額の謝礼を払えば出来るものだと勘違いしているらしい。
まず自分のできることは自分でやることから、始まるのに。
