ボクは装丁で本を買わないようにしている。
日本の装丁は美しい。
ボクは雑居ビル五階のワンルームに住んでおり、
地震でよく揺れる。本棚の圧が凄い。
そんなこと(装丁で買う)をしていたら、お金もなくなる上に、
孤独死の危険も避けられない。笑
ある有名な装丁家が、
「装丁は中身の単なるイラストレーションであってはならず、
そのテキストの構造が表出したものであるべき」
というようなことを言っていた。
確かに。
ボクはオブジェとしての本も好きである。
しかし、それは装丁で本を買うということとは少し違うだろう。
たとえ凄い芸術家が装丁を担当したとしても、
単に面白いオブジェが出来上がるだけの可能性もある。
まさに中身の構造が表出したオブジェという意味において、
表題やネームを含めた装丁は重要な役割を担っているのかもしれない。
『パリの砂漠、東京の蜃気楼』金原ひとみ
買ってしまった。笑
ちろん装丁だけで買ったのではない。
ボクが金原ひとみに出会ったのは、
村上龍の文庫版『コインロッカー・ベイビーズ』が
上下巻合本になった際の解説を読んだ時である。
村上龍と同じ芥川賞を獲ったことは知っていたが、
文章を読んだことはなかった。
立ち読みした書店でそのまま立ち尽くしたのを覚えている。
この時点でもかなり若いはずだ。
年齢は関係ないとはいえ凄いなと思った。その足で購入。
上下巻を単行本で持っている上に「解説」だけで二度目の購入である。
地震が怖い。
以前◉ショーシャンク・ベイビーズという日記で
引用した文章を今一度引用させてもらいたい。
「今も私はコインロッカーの中にいる。
外に出る方法は分からない。
この世界全体がコインロッカーならば、
出る事など不可能なのかもしれない。
けれどコインロッカーの中で暗闇を見つめ
声を上げ続けなければならない。
・・・
私も必ず何かしらの方法でコインロッカーを、
世界を破壊する事が出来るはずだ。
自爆してもいい。とにかくこの世界を破壊したい。
コインロッカーを爆破したいという気持ちを捨てたら
全てが終わりだ。必ず、外には・・・
・・・
眠るとは、意識を失うことだ。
私は眠るのも気絶するのも死ぬのも嫌だ。
常に目を開け全てを意識していたい。
全てを見つめ、その全ての中にいる 自分を見つめたい」
(金原ひとみ/『コインロッカー・ベイビーズ(村上龍)』解説より)
彼女の実存的な表明(告白)により、テキストの構造が表出している。
村上龍が『コインロッカー・ベイビーズ』を書いたのが28くらいだろうか。
この近くに彼女が生まれているとすれば、
彼女はまさにコインロッカー・ベイビーズだ。
この人の本は読もう、そう思った。
これは書籍全般の話だが、
表紙に「顔」があるのも売れやすいと聞く。
(帯などを含め著者本人とは限らず、イラストなどでも)
雑誌などもその好例だと言えるのかもしれない。
「目」が重要なのかもしれない。
目と目が合う、、
ボクはエニアグラムという性格分析をしている。
その上で最も重要なことの一つが「顔」である。
「顔(表情)」とはその人の性格が表出したものである。
性格(エニアグラム)とは脳を含めた肉体的な構造だと
ボクは考えているので、
まさにそれは本における装丁の関係に似ていると思う。
今回、購入した彼女の本には、
西加奈子と平野啓一郎のあおりの推薦文が帯に刷ってある。
「自分を愛することを認めてくれる人はたくさんいるけれど、
自分を愛さないことも認めてくれる人は希有で、
金原ひとみさんはその一人だと思う。」西加奈子
まっすぐで飾らない言葉が
「金原ひとみ」という構造を的確に表出させている。
西加奈子もきっと信頼出来る書き手に違いない。
書店を一周し、装丁をもう一度見直した。
角背も好きだ。ずるい。
と思いながら手に取りレジへ向かった。
地震が怖い。
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ちなみにボクは装丁の仕事をしている。
だから、ずるいと思うのかもしれない。笑