https://www.youtube.com/watch?v=dFsqWjL9Rbk
この番組の後半の部分で岡田元日本代表監督が「禅」の話をする。
この話は前回話した「脱・イメージ論」を端的に示している。
ここに至るまでのサッカー話は言わば「イメージ論」だ。
もちろんそれはそれで楽しい。ご覧あれ。
しかし、
楽しさは「戦争」である。
だから、
苦しみ(戦争)でもある。
岡田元監督は究極の選択に追い込まれた。
論理的選択には根拠を見い出せない。
(論理的選択が可能な時期はとうに過ぎている)
なおかつ、彼はたった一人で決断しなければならない。
そして禅を組んだ。
他に何かすることがあるだろうか。
果たしてそれは神頼みだろうか?
まさか!全くの逆である。
岡田元監督はタイプ5だと思われる。
「思考タイプ」のプロフェッショナルだ。
ここでタイプ5の思考のプロフェッショナルの象徴である、
シャーロックホームズを例に取ろう。
さて、
シャーロックホームズが殺人現場に入る。
そこは戦争の跡だ。
そして彼も戦争の中へ。。
殺人現場を見る。
いろいろな情報が思考の中へ飛び込んでくる。
そして、イメージ。
イマジネーションを膨らます。
数々の手がかりから殺人に至るロジックが浮かぶ。
その複数のロジックから真犯人に至るロジックを選び取らなければならない。
(いや、彼はもう真犯人を知ったのかもしれない。
つまり「現実」に触れたのかもしれない。
ボクの言う神秘体験である。
ここで彼が真犯人を知ったのでなければ、
どうして真犯人にたどり着くロジックを選択できようか。
であるならば、その「現実」との間であるイメージ=妄想とは
何を意味するのか)
その複数のロジックは、思考の中で絡まり戦争状態を引き起こしている。
彼はふと散歩に出る*。
なぜだろうか。
瞑想のためだ。
「戦争」の外へ出るためだ。
瞑想はなにも禅を組まなければならないわけではない。
かといって彼は、
オカルティックな行為をしている訳でもない。
彼はどちらかと言えば反・オカルト派だろう。笑
そして、
絡まった思考を、
つまりイメージを終わらせた時、
ふと閃くのだ*。
一本のロジックが。
もしかしたら、彼の名推理は、
現場を見た瞬間に遭遇した悪い神秘体験を
良い神秘体験に変換する芸術活動なのかもしれない。
歌唄たいが歌を作る(唄う)時のように。
絵描きが絵を描く時のように。
備考****************************
>彼はふと散歩に出る
本当に散歩に出るのかボクは知らない。
だって出そうだろう?
ボクの「イメージ」だ。笑
>閃くのだ
この直感というのは、
「思考」「感情」「感覚」のそれぞれのタイプで
受け方が異なるとボクは考えている。
しかし、例えば、思考タイプが必ずしも
思考型の直感を得るわけではなく、
「感情」や「感覚」での直感を得る場合もある。
おそらくそれは素晴らしいことだ。
ただ、シャーロックホームズのように、
彼は思考型の直感を得ることが得意だということである。
いずれ「直感」の話がしたい。