新田地帯にあった平屋の一軒家。

父親は製鉄会社の下請会社の検査技師、母親は看護婦。

 

共働きで、おばあちゃんが育ててくれた。

運動会、PTA、授業参観もおばあちゃん。

遠足の付き添い、耐寒訓練もおばあちゃん。

 

ハッスルばあちゃんと呼ばれていた。

 

水飲み観音に登るのが好きで、よくいっしょに登った。

春夏秋冬、いつでも登り、おいしい湧き水を飲んだ。

 

春はわらび取り、夏はカブト取り、秋はアケビ取り。

冬は耐寒訓練で、汗びっしょり。

切ったタオルを背中からかけておいて、引き抜くことで発汗後の冷えを防いだ。

 

毎日の食事もおばあちゃん。

天ぷら、すき焼き、刺し身、オムライス、焼きめし、スーパゲティ。

 

ハワイ生まれが自慢で、3歳のときに帰国。

旦那さんは20代で病死。

病弱の一人息子のわが父を女手一つで育て上げた。

働き詰めの人生は96歳まで。