8月6日9日15日。
毎年、8月が来るたびに、日本の来し方行く末、世界平和とか、戦争とか、逝ってしまった懐かしい人たちとか、そのようなものに想いを馳せるのだけど、今年はそのようなことどもを思いこそすれ、書くこともなく、過ぎてしまった。
7月下旬、酷暑のなかで断捨離を始めたけれど、片付け途中の8月1日が2回目ワクチン接種で、副反応で3日寝て失速。復活したら広島は原爆記念日が近づき、オリンピックは続き、コロナ感染者数は増加した。
8月6日、広島の平和祈念式典で、ちょっと不思議なスピーチをした菅総理大臣。後から、原稿の糊付け場所の不備で、原稿がくっついたところの文章すっ飛ばして意味不明のスピーチになったという、なんだよ、それ。
意味不明の釈明に驚いてるうちに長崎の記念日も終わり、さんざんもめたオリンピックも終わり、雨が降り続くお盆になり、気温がグッと下がって、涼しい終戦記念日を迎え、夏が、お盆が過ぎていった。
家のなかは8月が始まったところで止まっているのに、時間だけはどんどん流れ、世間では災害が起こったり、世界は動いて、政府が転覆したりしている。
そして日本は感染爆発。
引き返せないところまで来てしまった。もうどうにもとまらない。
ワクチン接種8割行けば、と、政府はいうけど、達成予定は11月の予定らしい。
3ヶ月、どうやって感染せずに生きろと?
もし感染したら自宅で寝てて、って、ワクチン受けてない人たちをどう守るのか?
うちの長女(20代会社員、リモートなし)は8月26日ようやく第1回目のワクチン接種の予約がとれた。あと1週間。とにかく今日を無事に越えますように、と、毎日祈って、無事夜を迎えられたことに感謝し、また祈りと共に朝を迎え、と言う日々だ。
一年半、ここまで感染せずに頑張ったのだから、もうすぐワクチンで抗体つく、と言うときになって感染したら本当に口惜しいではないか。離れた土地で一人で寝てることになると思うとやりきれない。きっと、家を離れてお子さんが暮らしているご家庭はみんな心配なことだろうと思う。
せめて医療を受けられるところ、看護士さんやお医者さんの目の届くところで寝ていてほしい。
野戦病院が無理なら、せめて、ホテルや旅館をたくさん確保して療養に当ててもらえないかと思う。宿泊客がいなくて困ってるホテルもたくさんあると思うし。
それとも私が知らないだけで、そういう施設はたくさんあるのだろうか?
伝染病なんだから、まずは隔離だろう。
一人患者が出るだけでも家庭に置けばすぐに家族の数だけ感染者再生産、となるのは、結核の昔からわかってることなのでは?と思う。
それに、隔離してまとめておいた方が治療する側からしても、管理しやすいのではないか、と思うのは素人考えか?
もしそれができないなら、自分達の不利益になろうと、ちゃんと説明してほしい。
誤魔化すことなく、隠蔽することなく、現状どのくらい大変で、何を困っているのか、どう言うことを目指して、どうしたいのか。
全く日本の政治家は語らなさすぎ。何も知らせないから不信感が募るし、守ってほしい人々は迎合して忖度し、政府には助けてもらえないと思う人たちは全て反発する、みたいなことになったり、政府の言説のあげあしとりみたいな不毛な関係に陥ってしまうかになるのだ。
コロナ禍が始まった去年の春、初めて緊急事態宣言が出たとき、国民は一気に緊張して自粛したのだ、そのとき、政府は日本の憲法では強制できないから、お願いするしかないのだと、強力なロックダウンはしなかった。お願いに応じてのの自粛だからか、補償も遅かった。
そしてそれに乗じて、強い措置したいけど憲法があるしなー、みたいな空気を醸し出して、火事場泥棒のような憲法改正への欲をちらつかせたりしていた。
しかしながらことここに至って戦力の逐次投入、五月雨的、場当たり的な政策ではどうにもならなくなってきてようやく強い措置を、と、言う声が出てきている。しかし、法改正のための臨時国会は開かれる気配もない。
なんだか、だらだら長くなってしまった。
政治家の言葉、と言うことについて書こうと思っていたのだけれど、世情があまりに不安定で、思うことが多くてまとまらない。
コロナのこと、菅さんや小池さんや知事さんたちだけでなく、議員のみなさんも閣僚の方々も、みんな考えてるんですよね?
まさか、総裁選と解散総選挙の段取りに浮き足
だってる?気持ちはそこ?みたいなことは、ないですよね?
国民を動かす。国民の心を動かす。言葉で。
それこそが政治家の大きな役割。そのためにスピーチは腕の見せ所、だと思ってきた。
原稿の糊がどうとか、とか、それはじぶんでつくったげんこうではありませんね、ということがばればれだし、それは知られてはまずい、不都合な真実に他ならないのでは?と思うが、どうやら、そんなことは思わないらしい。
社会をどういう風に動かして、どんな国にしようとおもってるのか、そのためにはどうしたい、あるいは、国民にどうしてほしい、ということをどう伝えるか?
自分で考えて自分で語れ、と思う。
糊がくっついてて、って、アホちゃうか?
こんなことを聞かされ馴れて、日本の国民は既に政治家の言葉に不感症になっている。
ビックリして、萎縮して、自粛したナイーブさももうない。すっかりすれっからし。
こんな国民に誰がした?
めくるとかめくらないとかじゃなく、自分言葉で語りかけてほしい。
と、思った夏だった。
********休憩********
さて、私は先程、政治家は自分の言葉で話せ、と言ったのだけど・・・。
長くなるので、この続きは次のブログで。