私の、既に亡くなった祖母は1899年(明治32年)生まれだった。
ハレー彗星を生涯で2回見た人だが、スペイン風邪の時はどうだったのだろう?
聞いておけばよかったな。
新コロナウィルスが世界席捲している今年、様々な社会の変化、あるいは変化しなければたいへんなのでは?という人々の意識の中の変化の予兆、のようなものを感じ、歴史の中で生きている、という感覚が実感を伴って迫ってくる。
外出自粛とか、休業要請とか、補償の問題、マスクの配布、10万円の給付やらなんやかや、一連の流れにそのときそのときに色々考えて、怒ったり疲れたり。花を見て息抜きしたり。
でも、この普通でない日々も何となく日が過ぎて、この先、なんとか生き延びて無事ワクチン開発に到達したり、途中で感染しても軽症で済んだりしたらあとで振り替えったら、なんとか暮らしてたな、みたいな印象になるのだろうか?それとも大嵐が吹き荒れた、みたいな印象の時代として記憶されるのだろうか?
自粛要請を解除したらとたんに感染者数が増え始めたのに、一方でGO TO キャンペーンとかも始まって、
ええのんか?旅に出てもええのんか?そこに国民への愛はあるんか?
と、大地真央に聞いてほしいようなちぐはぐな政策も、この時代にはこんな奇妙な政策がとられました、という一行が載ればまだしも、誰も知らない、歴史オタクのうんちく、となるのがせいぜいの小ネタなのかもしれない。
もっともこれで地方が大変なことになってまたまた緊急事態宣言に逆戻りになって、国民の怒りを買って、長期政権が倒れちゃいました、みたいなことにでもなれば、詳しい教科書にはちょこっとくらい載るかもね。
夜中に、NHKBSで「ぼくもいくさに征(ゆ)くのだけれど」という番組を見た。
第二次世界大戦中、23歳で戦死した青年のドキュメンタリーだ。
彼は詩を書く少年だった。
平易な言葉、新鮮な感覚で、まるで、現代の若者が書いたのか?というような詩が残っている。
彼が残した詩や、徴兵されて、兵士としての訓練の日々に、こっそりトイレに隠れて綴り、姉に送った日記をもとに、戦時に青春を生きた一人の青年の心の軌跡をたどる番組だった。
戦争。
非常時といえばこれほどの非常時もないだろう。
しかし、その大変な日々のなか、詩人の目と心は、しんどい訓練の最中にも、下らない現実のなかにも、生き生きと、つい、クスッと笑ってしまうようなことを感じてしまって、それを綴る。
分刻みの、過酷な新兵教育の日々に、トイレに隠れて、書かずにはおれない。書くことで自分を支えていたのだ。
書くことで彼は彼の日常、平常心、新鮮な感覚を保っている。
たくさんの情報の海で溺れそうにならないよう、不安をあおられて鬱病っぽくなったりパニックになったりしないようにするにはどうあるべきなのか?
詩人の心とは言わないまでも、信仰とも言わないまでも、自分の指針となるようなものがあればいいな、と思う。
大きな歴史観や、知識、教養?
不確かな情報を拡散せず、確かめてみるとか、付和雷同しないとか。
どうしようっ!と思ったときにはまず深呼吸。お茶を一口、かな。
ニューノーマル、というほどのことではないけど(笑)。