原子力発電所は本当に必要ですか? | 房総ログハウス暮らし(ナチュラルライフタキタロウ Natural Life TAKITARO)

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企業や国を非難するようなことは出来れば公には書きたくないのですが

今回はここで訴えなければならないと思い書かせていただきます


このような話はニュースでも取り上げているし

他の人も訴えていることなので

取り立てて記事にすることはしませんでした


しかし

先日、東京電力株主総会がありましたが

「脱原発」の動議が否決されたということに失望と怒りを覚えました

経営陣に有利な多数の委任状を盾に・・・・・

原発被災地を回って被災者に直接お詫びをしたのはパフォーマンスだったのかと

「原発の所為で流浪の民となった」そう訴える福島の株主

大変辛い思いをして生きている福島県民の気持ちを無視しているとしか思えません

福島に親戚や家族が居ないと、即座に原発を止める気持ちにならないのでしょうか?

電力が足りなくなるとかの問題じゃないと思うのですが・・・

残りの原発も津波対策とかすると言っても

40M以上のネオスーパー堤防で囲わないと対策の意味が無いと思いますし

そんな費用をかけるくらいなら、廃止の方向へ持って行き

再生可能エネルギー生産に力を入れて欲しいと思います

水力・風力・波力・地熱・太陽熱・太陽光

それら自然の力を利用した電力発電設備投資に回すべきでしょう



東日本大震災以降

関東・東北の太平洋沿岸の苦しみや悲しみを目の当たりにして

ことさら惨状を掘り返すことになるような記事は自粛してきましたが

原発に関連して、やはり一度は記事にすることにさせてください



国道6号線は千葉・茨城・福島・宮城の沿岸部を走る主要国道です

以前は仙台市民で宮城で暮らした事もあり、福島の浜通りは妻の実家でもあるので

ルート6はホームロードのひとつでした

その見慣れた海沿いの風景・街並・田園風景が

激しく様変わりしてしまいました


先日、我が家に避難している原発被災者の故郷である福島へ

本人の三ヶ月半ぶりの一時帰宅で連れて行った時も

いわきから南相馬までの区間の街、波江・双葉・大熊・富岡・楢葉・広野

私にとってもホームタウンのような場所なのに原発事故で立ち入る事も出来ず

二本松から山道越えの大変な道程でした

途中で通過した飯館村はほとんど避難していて真っ暗なゴーストタウン

住民の悔しさが見えるようでした


立ち入る事が出来た原発避難区域のある南相馬は

道路は激しくうねり崩れたまま

船やゴミは散乱したまま

建物は倒壊あるいは破損したまま

辺りは磯の腐った臭いが充満し

3ヶ月以上経つのに震災直後のままです

原子力発電所の放射能漏れ事故の所為で

自衛隊・警察・消防隊による救助作業・復旧活動もままならない

原発半径20キロ圏内は、忘れられたというか見捨てられた被災地なのです



今回立ち寄った街は、福島は新地・相馬・鹿島・南相馬

宮城は荒浜・閖上・名取・鳥ノ海・亘理・山元

いずれも慣れ親しんだ街

これらの変わり果てた姿を目の当たりにして言葉もありません

私が撮ると余計な誇張の撮り方が邪魔になったりするので

子供が撮ったありのままの姿を何枚か載せさせてください

三ヶ月半経つのに震災直後のままなのです

それらを見ても、「原発は生活の為に仕方無く使う」に賛成でしょうか?

我々の豊かで便利な暮らしの影にはいつの時代も犠牲になる人々がいるのです

それは今回に限った事では無く、世界中で今現実に起きている問題でもあります



イメージ 1

国道6号線沿いに打ち上げられたままの多数の船
6号線沿いでは福島の鹿島地区が1番酷かったです



イメージ 2

ゴミ処理場のまわりに積み上げられた瓦礫の山
分別処理に20年以上はかかるかも知れないとか



イメージ 3

倒壊したままの建物やビニールハウス
辺りは磯の腐った臭いがします



イメージ 4

ある親戚はこの丘に住んでいたので助かりました
いまだに残る海水が津波の脅威を物語っています


それでも人々は次第に自主的に戻ってきて生活を始めています

端から見ると、惨状の街の中で何事も無かったかのように

暮らしている事態が異様にも見えますが

時が止まったままのようでも、物事がなかなか進まなくても

彼ら住民の命の針は進んでいます

「人生を無駄にしたくは無い、国は当てにならない
己の生きる道を自分たちで切り開いて行く」

そんな悲壮な決意が伝わってきます



この辺り一帯には平安時代の大昔にも大津波が襲った言い伝えがあり

その教訓から人々は山や丘の上などに家を建てて平地には建てなかったそうです

それが代替わりする度にいつしか津波に対する意識が薄れ

平地に降りて家を建てて暮らすようになったとのこと

せっかく、大昔の人々が石碑や文献に記録や戒めを書き記して残しても

後世に渡って未来永劫言い伝えられていかれないと

歴史の中に埋もれてしまい惨劇が繰り返されてしまうのだと実感しました


今、私たちがなすべき事は

いかにして、いつまでも人々に関心を持ってもらうか

どのように記録して伝えて行くのが良いのか

そして

平和目的であろうと、エネルギー生産効率が良いものであろうと核はやはり核

人類を恐怖と失望と滅亡に追いやる放射能であることに変わりはないと思います

それが地球の生物や環境に与える計り知れない長時間の影響を考えると

(それが数ヶ月だろうが30年だろうがその時代に生きる被災者のかけがえの無い命の大切な人生時間を奪い無駄にさせる行為なのだと)

早急に核関連を廃止して、それに代わるバイオマスエネルギーなど

安全で再生持続可能な新エネルギーを本当に真剣に考えていかなければならないと思い

記事にさせていただきました


そして

原発推進派であるフランスやアメリカに配慮しなければならない現実があるにしても

国策として早急に脱原発を宣言して被災地に希望を少しでも与えて欲しいと願います





世界が、顏晴れ!(がんばれ)って応援してます!
繋がろう!日本!
笑顔になろう!日本!
がんばろう!東日本!
復興するぞ!東日本太平洋沿岸!
立ち上がれ!東北!