知事と職員の関係
去りゆく人に対して温かな気持を送る事は社会におけるマナーだと心得ている。
しかし、県知事として県職員への最後の挨拶がなぜ『マイウェイ』なのか?恐怖を覚えるほどのズレた感性だと思う。
マイウェイは名曲であるのはその通り。しかし、この曲の歌詞は『よき事、悪き事、全てを美しいものとして肯定し、自分の気持ちに正直に信じた道を歩む事の大切を説く』のが基本思想だろう。
自らの生き方を肯定し、これからも引き続き思った通りに生きて行く事を高らかに歌いあげる、要は自分語りをメインにした構成だ。
綺麗なメロディラインと美しい言葉によって構成されているから見えにくいが、中枢エッセンスは『言いたい事を言い、やりたい事をやる』と力強く宣言する安岡力也さんが歌った名曲『ホタテのロックンロール』と当たらず遠からずとも言えなくもない。
家族や親しい後援者を交えた身内の会の挨拶がわりでの『マイウェイ』ならわかる、フルコースで思う存分に何回でも歌えばいい。
しかし、県職員はどんなに近くても知事の身内ではない。
彼らは公に奉仕する事を誇りとして仕事をするプロフェッショナル集団との位置付けだ。
である以上、公的存在として公的に話す対象である。
その人達に向けての最後の挨拶で、個人的な生き様を自己肯定するメッセージを聞かせるのは失礼な振る舞いだと思う。
また、自らの幸せな歩みに浸ってるその瞬間にも、明日の暮らしの目処が立たず途方に暮れてる県民だっているはずだ。
大人になるとは顔を使い分ける事。
家族に向ける顔、友人に見せる顔、味方に向ける顔、中立な人に見せる顔、そして敵に見せる顔。
場面に応じて適切な立ち振る舞いをする事だ。
その使い分けができなかったり、
一つの顔しかなかったり、
見せる顔を間違えるのは幼稚でしかない。
政治家はドンドンとズレていくのが現実だ。辞めていく知事を見て、改めて自らを引き締める大切さを痛感した。