友よ、あまりにも個人的な追憶
〜個人的、あまりにも個人的な追憶〜
個人的な記憶を緩やかに整理する備忘録的な意味でここに記すのが適切かなと思う。
今朝方、書棚から暫く読んでいない本を取り出すと変色した一枚の紙が出てきた。
昔よく出入りしていた店のカラオケリクエスト用紙。
『壊れかけのRADIO 徳永英明』とあった
久方ぶりに見た筆跡、間違いなく彼の字だ。おそらく、閉店間際で渡しそびれ、テーブルに置いたものをたまたま持ち帰り、何かの拍子で本に挟まっていたのだろう
大学時代、そして20代の後半ぐらいまで毎週のように遊び歩いていた友人。
そして、プツリと突然付き合わなくなった友人。
八王子の外れの大学に通う自分と『都内中心地にある有名私立大学』に通う彼とどこでどう知り合ったか?どうしても思い出せないし、なぜ付き合いが切れたのかも思い出せない。
互いの自宅が近い事もあり、
気がついたらよく顔を合わすようになり、そして気がついたら目の前にはいなかった。
20代前半、私は政治の道を目指し、彼は法律の道を目指していた。
さすが法律の道を目指すだけあってどの分野においても意識が高くクレバー、とにかく話せる奴だった。
また、優等生特有の自己本位で計算づくの所もまるでなく、損する付き合いも平気でできる粋な奴でもあった。
当時流行っていたポールスミスを好む洒落たスマートな身だしなみと育ちの良さを感じさせる立ち振る舞いが女性を中心とした華やかな交友関係を呼び込んでいた。
洗練された雰囲気からしてさぞかし恵まれた環境で育てられたんだなと思ったが、友人として近い距離で見るようになると色々な複雑とも言える事情を抱えている事に気がついた。
複雑な事情が複雑な性格を作るのかどうかは定かではないが、同じ人物の中に聖と俗、光と陰が同居していた。
能面のような冷静さで事実と違う事を平気で語る一方、常に正直だった。
恐ろしく冷たい人でもある一方、限りなく優しい人でもあった。
人は誰しもが二面性を持つのかもしれないが、その振り幅が極めて大きく、一つの人間の中に極端に矛盾する様々な性格が萌芽されていた。
とはいえ、
一つだけ言えるのは、若い時らしい様々なトラブルが発生した時でも、僕の対人関係のハンドリングミスから来るトラブルに巻き込まれた時ですら、僕の立場が悪くなる事は決して語る事はなかった。
その意味で友人には誠実な男だった。
バカ話をして、真面目な話をして、深夜まで安い店を何件も回り、ステージのあるパブにたどり着く、そして最後に歌うのは必ず『壊れかけのRADIO 』だった。
徳永英明とソックリに歌うその声は本人かと思うぐらい上手だった。
なぜこの曲なのか?特に考えた事はなかった。徳永が好きなんだ、としか思えず当たり前のようにプロ並みに歌うその歌を流れ作業のように聞いていた。
今となると
彼がなぜこの曲を好んだのか少し理解ができる気がする。
彼の周りの大半が選択するであろう、
大学を卒業し、一流企業へ就職するという有名私立大学の学生ならではの道を自ら放棄する選択をする、選択をした自分自身に対して感じていた孤独と絶望を彼なりに表現していたのであろう。
本来は自らの選択として好きな事をしているのだから孤独も絶望もないはずなのに、それをそう感じてしまう自分の性格へのやりきれなさ、
またおそらく彼自身が最も自覚していたであろう人には言えない『自分自身の複雑さ』、
人前で明るく振る舞う根底に流れている『日々自分を問い詰めるような生真面目な一面』がこの曲を選ばせていたのだろう。
そんな、複雑な彼がなぜ私とよく遊んでいたのかわからない。
『彼の持つ複雑さ』に比べると私は気性が一本気で極めてわかりやすい性格だから、対人関係で裏を読む必要がなく面倒くさくなかった、ぐらいの理由しか思い当たらない。
彼の父親が他界した時、真っ先にお伺いした。
『わざわざありがとう』といつも変わらない様子で語り、いつもと同じように振る舞い、その間の経過と時々の心情についてキチンと話してくれた。
そして、最後に『本当に1人になっちゃったよ』とボソっと呟いた。
なるほど、世間的には身内と呼べる人はいただろうけど、彼が身内と認識していたのは父親だけだった。
その心情を察するとともに、それすらも奪い去る運命の過酷さを恨めしく思った。
父親の他界後、外形的には少し変わった様に思えたけど、友人としては何一つ変わらない付き合いやすい誠実な男だった。
その後、私は鳩山由紀夫先生の秘書となり人生の中で最も多忙な修行の日々を送る事になったが、その頃も連絡を取り合っていた。
しかし、ふと気がつき振り返ると存在が消えていた。
特にお互いの中で揉め事を起こして付き合わなくなった訳でない。
気がつくと存在が透明になっていた。
幾年かの月日が過ぎた頃、横浜のみなとみらい、海の見える一角に紺のメルセデスS560が停まっていた。
ふと、目を留めると彼が車に乗るところだった。慌てて自分の車を停め声をかけた。
『あ、滝田久しぶり^_^』と驚く事もなく昨日も会っていたかのような当たり前の笑顔で答えてくれた。
しばらく立ち話をし、
最後は『今度また飲みに行こう』と言われ、『いつでもいいよ、連絡するし、連絡してくれ!^_^』と応え、でも互いの連絡先を聞くことなく別れた。
こちらが連絡先を聞かなかったのは聞いてはいけない気がしたから。
向こうが聞いてこなかったのは、
繊細な気遣いができる奴だから、
こちらに何か気を遣わせるものがあり、それを感じとって聞いてこなかった、という事だと思う。
最後にすれ違ってから15年は経つ。
未だ音信不通であり、どこで何をしているかはわからない。
でも、どこかでこちらの活動を温かい目線で見てくれている気がしてならない。
いつかまたすれ違う時も来るだろう。
もしその日が来たら、今度は連絡先を聞いて見ようと思う。
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