竹下登さん | 神奈川県会議員滝田孝徳オフィシャルブログ「ノーブレス・オブリージュ」Powered by Ameba

竹下登さん

〜限定発信、恐るべき政治家、竹下登〜

日本における、歴史上ではない政治家として、私が凄みを感じるカテゴリーの政治家としてカウントする1人が竹下登。

竹下登と言っても若い方は恐らく知らないであろうが第74代総理大臣である。
https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/074.html

政治の世界に入って仕事をすればするほどこの人の凄みがわかってくる。

少し解説を加えたいと思う。
政治家の資質というのは、選挙に勝つ能力、頭脳の明晰さ、見識、弁舌、実行力、先見性等々様々な分野がある。

一方で全てにおいて優れた人はいない。

多くの場合、例えば先見性は尊敬できても、実行力においてはどうしようなくダメで0点ということも当然ある。

私が竹下登さんに凄みを感じるのは、見識でもなければ弁舌でもなく(失礼!)物事を現実化させる『政治技術』に関しての一点である。

『目的合理性』という言葉がある。
非合理的な行動を抑え、目的を達成するために効率のいい手段で行動することを言う。

竹下登さんは目的合理性の権化ともいうべく政治家、感情を抑え、我慢に我慢を重ね、自分が実現すべきと考える事に向かって着々と布石を打ち、気がついたらいつの間にか目的を達成している。

見事としかいいようがない『政治技術』だ。

偉大なる普通人、しかし天才政治家。

普通の人、しかし天才政治家、この矛盾を両立させるのがこの人の怖い所である。

竹下登さんについては様々な所で語られているが『面会してその見識に感動した』という人はあまり聞いたことがない。

ニコニコして温厚でいかにも普通の人。そして、明確に物事をいう事は決してなく、慎重な発言に終始、常に曖昧で言質をとらせない話し方をするという。

言語明瞭、意味不明瞭というのがこの人の代名詞である。

しかし、この曖昧かつ不可思議な対応を常に意図してやっているのがこの人の凄いところ。

良し悪しや好む、好まざるは別として政治は村社会であるのが現実。
この現実と文法をキチンと直視しないと現実は進まない

よって、迂闊な発言、行動は10年後、15年後までその世界ではキチンと記憶され、あの時、あの場面ではああだったよね、となる。

また、政治は理屈じゃなく、感情である。だから、ここ一番の時に仕返しをされるのが政治であり、江戸の仇を長崎で取られるのが政治の世界の現実。

だから、目立たないように(目立てばやっかみを買い、敵を作る)立ち振る舞い、水面下で貸し借りを網の目のように張り巡らせる。

そして、その貸しを自分が実現すべき政治課題の時に静かに返してもらうような環境を作るよう日々努力する。

いつも言うが、私が見る限り、実力ある政治家は大事な場面ではペラペラ喋らない。沈黙を保ち、各方面への影響を多方面から計算し考えて、言葉を慎み、選び、慎重に発言する。

カッコよく語り、華々しいパフォーマンスする政治家ほど、現実政治には全く影響力を及ぼす事ができない政治力なき政治家である事が多い、というのがこの世界に入っての感想。

逆にいうと、現実を動かす政治力がまるでないからパフォーマンスするぐらいしかないというケースが結構多い。

そして、その手の人は政治家として長続きしないし、長続きできない事が多く、
10年のサイクルで見れば、政治の世界から去っていく、否、行き場がなくなり去らざるをえなくなっていくのだ。

政治は多数を取らないと、多数を形成する能力を身につけないと、現実を動かす大きな影響を発揮できない。

あらゆる方面に気を配り、口を慎み、目立たず控えめに振る舞う、自己顕示欲が強くないとなれない政治の世界の住人には難しい作業である。

しかし、これは自己管理で誰でもできるとも言える。

極めて難しい、しかし自己管理の徹底で誰でも出来る事を長年積み重ね、政界随一と言われた圧倒的な政治力を手に入れ、現実社会を動かし、多くの政治目標を達成してきた竹下登さんは『凄みの政治技術』の持ち主と言えるだろう。

一方で竹下登さんは古き時代の政治家であり、政治技術とそれと裏腹であろう影の部分も多くあり、今の時代には引き継いではいけない部分が多々ある、というのが総合的な私の評価である。