サラリーマン時代
〜個人的な追憶〜
先日ふと書籍を手にした。
大学卒業後に勤めていた有線、その社長だった宇野康秀さんについての本。
とはいうものの、
私の頃は先代の宇野元忠社長時代であり残念ながら康秀社長の会社運営は知らない。
なぜ手に取ったかと言えば、先代、元忠社長の創業期時代の話や勤務していた渋谷神泉の東京本部ビルのトップだった谷口副社長の若き頃のエピソード等が記載されており興味をもったから。
自分の発想、思考の基礎を教えてくれたのはこの会社であり、その意味で今でも感謝している。
若く、明るく、オープンでイケイケな社風。そして厳しくも緩い、自由がない、しかし限りなく自由、矛盾が混在するいい意味でめちゃくちゃな会社。
その社風を作っていたのが、
たまに私のいたビルに来ていた先代の宇野元忠社長。
この方は今に至るまで人物として非常に興味深い。
異様だったのは、部長クラスの方々の、元忠社長への異常、異様ともいうべく怯えぶりだった。
社長はオフィスには、大抵、顔にかすかな微笑みを浮かべながら、スーと入ってくる。
それに気がついた部長、その瞬間に真顔になり0.2秒で起立、直立不動体制。
まるで信長様を前にした家臣団の如くだ。
噂を聞き、鬼をも食う偉丈夫を想像していただけに、オフィスで直に見かけた時は本当に驚いた。
社長とは思えない地味かつ無頓着な服装と寝癖全開の頭、そして、これまた地味なメガネ。
体型はどちらかと言えば小柄、偉いぞオーラがまるでなく、今から静かに掃除を始めるかのような控えめな雰囲気。
一方で仕事には厳しく、
ダメな幹部は血も涙もない降格、実績があれば秀吉の如くあれよあれよと出世させる信賞必罰が徹底された幹部人事。
仕事への効率の観点から、今で言うクールビズを唱え、夏場は上着もネクタイもいらないと公言する合理主義者。
机に物が置いてあるのを許さない(仕事効率の観点からと聞いている)ため100人はいるフロアのデスク上は常にペン一つ置かせない。
赤が嫌いで、消火器を緑色に塗り替えさせたという真偽不明なエピソード。
そして、年末などにはなぜか自社で作った肉団子配るという営業手法。
我々平社員の前で見せる穏やかで細事を気にしなさそうな大らかな雰囲気とは
真逆な独特の発想と漏れ伝わってくる激しい性格。
当時、有線は琵琶湖に広大な保養所があり、暖かい季節なると全国から優秀な営業マンが数百人が泊まりで社長に招待され研修会を行なっていた。
この研修会も一風変わっていて、会社として何か行うわけではなく、全て自由。
オーナー社長にありがちな社長訓示もない。
着いた瞬間から冷蔵庫に大量の酒が用意されてカラオケもつかい放題、テニスコートも使い放題、食事だって目が回るほど用意されていて、たらふく食べる事ができる。
ただ、ひたすら飲んで食べる。
夜はバーベキューとなり社長もいらっしゃり同席はされているものの、紹介があるわけでなく、別に長々と挨拶があるわけでなく、ニコニコと座っているだけで、いつの間にか始まり、いつの間に終わる。
ありがちな集団行動、例えば営業部毎の対抗戦的なイベント等もまるでない。
当時は研修らしき事が一切ないのに、
何でこんな事をやるのかと不思議だったが、苦労して会社を大きくしてきたオーナー社長の成績優秀者への慰労であり、社員のお腹をいっぱいにする事が、
社長の経験からくる、人への感謝だったのだろう。
時は経ち当時の平社員だった私は現在営業とは別の仕事をしていて、
議会においては会派をまとめ、党をまとめる立場となった。
その時に心がけてきた事の一つは自由と規律のバランス。
あまり話したことがない社長の姿、三つ子の魂百までも、初めて社会に出て一社員としてして受けた会社の社風の名残りがどこかに残っているのだろう。
書籍には、当時雲の上の人だった宇野元忠社長や毎日見かけていた谷口副社長の姿が描かれていて懐かしく思えた。
確か同期として入社したのは全国で1000人はいたと思う。
社員の出入りが多い会社だったので在籍期間は僅かだったが多くの人と出会い、一緒に仕事をした。
そのほとんどの人の連絡先は知らず、そして、もう二度と会う事はないだろう。
全ては終わった事。
親しくした人もいるが、消息を追おうとは思わない。
冷たく感じるかもしれないが、そういうものだ。
いっとき交差した人達がそれぞれの道で幸せであればいい。