明日から選挙戦となります。
明日から選挙戦となります。
任期を振り返りますと、任期4年のうち3年は県議会議員団の代表を務めさせて頂くなど責任が非常に大きな仕事をさせて頂いた4年間になりました。
議員は当選しなければ仕事をするステージに立つ事ができません。
そして、当選を重ねないと政治の世界で大きな力を発揮できるステージに立てません。
その意味で仕事をさせて頂くステージに立たせて頂いた、それも32歳という若い時から、本日に至るまで県議会議員という立場を預かるチャンスを下さった、
中原区の皆様、選挙区の外から応援してくださった皆様には心から感謝の気持ちで一杯です。
ここ数年、政治家志望の若い方とお話しする機会がよくありました。
その時に常にお話しをさせて頂いたのは、
政治家は一人の思いではない、みんなの期待を背負っているという事です。
その事を『F-1ドライバー』に例えました。
F-1ドライバーは世界各国を周りながらレースに臨みます。でも、それはレーサーとしての自分だけのレースではありません。
レーサーが勝つために、最高のパフォーマンスをするために、車を最上に仕上げる多くのメカニックの方々がいらっしゃる
そして、チームに期待し、レーサーを支えるスポンサーの方々もいらっしゃる。
そして、そのドライバーに期待して、時にはそのドライバーに何かを託しながらレース場に足を運ぶ人々やテレビの前で中継を心待ちにする人がいる。
F-1ドライバーにとってレースは自分の勝利のためだけのレースではない。
多くの人々の思いを背負って走るのがF-1ドライバーです。
実は『このF-1ドライバー論』は若くしてこの世を去った伝説のF-1レーサーであり、ブラジルが誇る不世出の英雄の『アイルトン・セナ』がジャーナリストに『なぜあなたはそこまでストイックにレースに打ち込むのか?』と問われた時の答えです。
更にアイルトン・セナは次の様に語りました。
『だから、自分はレースに対していいかげんな事はできない、日常生活をレースに捧げ、ベストを尽くし、極限を超えた努力し続け、人生の全てを賭けて勝利を目指すのだ』と続きます。
私はただの地方議員であり、その立場はF-1ドライバーに比類するのは失礼だと承知しています。
しかし、政治も、政治を志す人は、多くの人々を巻き込んで立候補する意味では似ています。
ボランティアで全面支援してくださる地域の皆様、私の挑戦に向けて時間を使ってくださる皆様、そして政治を変えたいと思いながらも、様々なご事情で一票を投じる事でしか政治に参画できない方々、
その人たちの気持ちを背負って立候補します。
私は立候補した時から大事にしているのは『特定団体の代表でなく、国民全体の代表であり続ける』という事です。
このスタンスからスタートしてるので、
大きな団体が全面的に丸抱えで支援してくれて選挙を戦うわけでありません。
地域の皆様の一人一人の方々の得票の積み重ねで今日まできています。
その意味で得票も読めませんし、選挙はいつも厳しいです。
今回も今までの中で一番厳しい選挙となると覚悟してます。
明日からの選挙戦、32歳で立候補した頃の初心に戻り、一人の挑戦者として臨みます。
しばらくの間お騒がせしますが、
どうぞよろしくお願い申し上げます。