馬淵澄夫先生 | 神奈川県会議員滝田孝徳オフィシャルブログ「ノーブレス・オブリージュ」Powered by Ameba

馬淵澄夫先生

神奈川県議会議員の滝田こうとくです。


過日、時の流れの速さを振り返る意味も含めて、昨年の今頃の事を少し記し、その後政界が変化していった旨を少し記載した。


その事について少し掘り下げてみたい。
私にとって、前回の衆議院選挙は痛恨の極みとしかいいようがない事態が起きてしまった。


それは、様々にご指導頂いていた『馬淵澄夫代議士http://mabuti.net/#』が議席を議席を失ったこと。


馬淵澄夫先生に親しくご指導を頂くようになったのは民主党の県連幹事長時代から。


当時の民主党は、政権を失い、候補者の擁立も含めて再度立て直していかなければならない時期であり、馬淵澄夫先生は党本部の選対委員長としてフル回転されていた。


私たち地方議員から見た当時の民主党は『国会議員政党』であり、『党運営に自治体議員の声が届かない』と、非常にフラストレーションがあったが、馬淵澄夫先生は常に地方組織や地方議員の声に耳を傾けようとされていた。


立場が違うので、こちらの意見が通る場面はそうはないが、少なくともこちらの立場を尊重し主張にもキチンと耳を傾けてくれた。そして、結果ダメでも、言える範囲(もちろん、背景全てを教えてくださるわけはない)で説明をしてくれているんだな、とこちらが理解できる対応もしてくださった。


だからこそ、本来状況説明がある場面で何一つ言葉がない時があっても、
それはそれで『説明しようがない、できない案件であり事情があるのだろう』と納得もできた。


別に、政治手法だけに敬意を表してる訳でなく、話していても物の見方と知識に見識を感じる事が多々あり『こういう方が党にいる限り、民主党は必ず再生できる』と信じていた。


ちなみに、馬淵先生は民主党らしからぬ、という言い方はよくないが、大変なリアリストで現実を見据えて解決策を導き出すしていくことを常としており、出された著者のタイトルも
『原発と政治のリアリズム』
というものとなっている。


しかし、選挙は皮肉なもので普通ならバッチを落とす事はありえない驚異的な惜敗率でありながら大変残念な結果となってしまった。

今まで政治の世界に入り選挙に携わる多くの人々を見てきたが、選挙において結果の出ない候補の多くは『出た結果』について『ほぼ間違いなく』他人のせいにしていた。


たぶん、そうしないと自分自身を保てなくなるぐらいショックなんだろうと理解しようとしつつも、内心苦々しく思っていたが、馬淵澄夫先生は一貫して『自分の責任』と言い続けた。


選挙後、少人数で長時間会食する時間を作ってくださったのだが(そもそも、我々のために時間を使う事自体が異例である。)
その際も、恨み言いうわけでもなく『自己責任』だと言い続けていた。


しかし、どの選挙でも候補者に比較的厳しいわたしから見ても『本人以外の責任が大だな』と思うのだから全てを飲み込み『自己責任』と言い切る馬淵澄夫先生の姿には本当に頭が下がった。


かつて、先生の議員会館の部屋にお邪魔した事がある。最初に目にとまったのは壁に大きな一枚の額縁とそこに書かれていた『詩のような言葉』だった。


重要なのは、批評するものではありません。強い男のつまずきを指摘したり、立派な仕事をした者にケチをつけたりする人間でもありません。

真に称賛しなければならないのは、
泥と汗と血で顔を汚し、実際に戦いの場に立って勇敢に努力する男。

努力に付きものの過ちや失敗を繰り返す男です。

しかし彼は実際に物事を成し遂げるために全力を尽くします。

偉大な情熱と献身を知っています。

価値ある大義のために全力を傾け、最後には赫々たる勝利を収めます。
たとえ敗れる時であっても敢然として戦いつつ敗れます。


だからそういう男を、勝利も敗北も経験しない無感動で臆病な連中と
断じて同列に並べるべきではありません。

第26代アメリカ合衆国大統領  セオドア・ルーズベルト


『リチャード・ニクソン』アメリカ大統領は政治に対して非常に含蓄ある名著を残しており、大学時代に繰り返し、繰り返し読み込んだ事があり、一冊の著書の見開きページに記されていたのがこの一節だった。


ここに記されている『困難に負けずに戦い続けることを、絶対的な善』とする価値観には非常に共感するところがあり、たまたまそのエッセンスを記憶していたため、久しぶりに大きな額縁でこの言葉を見て、懐かしく思うともに、馬淵先生は『この価値観』で政治に取り組んでいるのだな、と嬉しくなったものだ。



次の国政選挙はいつあるかはわからない。
野党の混迷とも言える現状を見ると考えさせられるものがある。


その意味でも馬淵澄夫先生には是非国政復帰を果たして頂きたいと思う。