祖父(栃木県滝田村)
本日も暑い一日、10年以上前に他界した祖父の墓参りからスタート。
口数の少ない祖父でしたが、今思えば一人っ子長男の私には目をかけてくれたと思います。
祖父は栃木県那須郡の滝田村で年の離れた2人の姉がいる末っ子としてして生まれました。
小学校の時に両親が他界したようでひとりぼっちになってしまい結婚していた姉を頼って宇都宮に出てきてしばらく生活をしていたようです。
その後はその時代を生きた方々と同じように時代に翻弄され、戦争にも行き、満州事変に参加したと話していた記憶があります。
しかし、戦争については、それ以上の事は何一つ語る事はありませんでした。
時代に翻弄されたせいか、政治とか政治家には『期待してもどうしようもない』といった、シビアかつ、辛辣かつ、非常に冷めていたようで、選挙があっても、私の知る限り投票には決して行く事はなかったです。
小学生の頃、父が投票に行ったと聞いたので、昼食をとっていた祖父に、選挙の意味がわからないまま『選挙には行かないの?』と聞いたことがありました。
その時の答えは『あんなものには行かない、行っても仕方がない、誰がやっても一緒、選挙なんて勝手な連中を決めてるだけ』と怖い声。
いつになく冷たい言い方に、
私は聞いてはならない事を聞いた、と思いそそくさと別の部屋に逃げました。
当時は言っている意味がよくわからなかったのですが、祖父から見た政治家とは『勝手な連中』であり立候補している人とは『祖父にとって』は『勝手な連中』になる事を目指す『とんでもない連中』だったのでしょう。
政治に背を向け、政治や国には何一つ期待せず、自分の事は自分でやるしかない、という感じの人でした。
日常生活も、洗濯、掃除、食事、衣類の管理等々あらゆる事について自己責任を貫徹した人で、同居していた私の母に何か物を頼んでいるのを見た事はなかったです。
サラリーマンを辞めて政治家目指すべく鳩山由紀夫先生の秘書になると伝えた事がありましたが『好きにすれば』と言った感じで特に感想を述べることはなかったのですが、いよいよ選挙に出る決意を自分自身で本格的に固めた頃、祖父にその旨を伝えた事がありました。
『数年後の選挙に出るよ、親父は大反対してるから、いつまでこの家に居られるかわからないし、自分の一票しか入らないかもしれないし、近所の笑い者になるかもしれないけど、それでもでるつもりさ。もし、親父に追い出されても近所に住んで中原区から選挙にでるから、その時は選挙行ってよ。』
政治嫌いの祖父ですから、冷たくあしらわれるか、それともいつも通り無関心なのか、と思いきや『あぁ、必ず行くよ、◯◯(私の父の名)にも必ず行けというよ』と言ってくれました。
普通の家族なら当たり前の事なのかもしれません。しかし、政治に冷め、政治を、そして政治家や権力を嫌っていた祖父を知る私にはとても意外な言葉でした。
本日、1人墓前に立った時、幼かった頃からの祖父との記憶が蘇りました。
三輪車を押してくれた事、自転車の後ろについてきてくれた事、道ですれ違った時の事等々、数えきれない多くの記憶があります。
また、実際にはそんな訳があるはずないのですが、なぜか祖父との記憶にある日の天候は今日のようなハッキリとした快晴。
それは、自分にとっての祖父との関係は今日の天気のような晴れやかなものとして記憶されている、という事になるのかもしれない。
