(3)鳩山由紀夫代議士
約束の時間から2時間が経とうとしていた。
『神業』とはまさにこういう事をいうのだろう。
目の前の男性の机上には3台の電話機が置かれていた。右手で受話器を取り話をしていると左の電話機が鳴る。素早く左手で受話器を取り右手に持ち変え右手で2台の電話を持ちながら同時に2人と話をしている。
すると、今度は真ん中の電話機が鳴り左手で取り何やら話を始めた。1度に3人と話をしている。
更に呆れた事に今度は携帯が鳴り始めた。しかし、何事もなかったかのように左手にある1台の受話器を机上に置き携帯を取り話し始める。
1度に4人と話をしていた。
電話が鳴りっぱなし。
常時少なくとも2人と話をし、この調子で2時間が過ぎていた。
内容の詳細はよくわからないが、『何らかの状況説明』と『何らかの指示』を繰り返しているらしい。
素晴らしいのはすべての事柄に関して即答。
電話相手を待たせる事はない。メモを見たり資料を見たり記憶をたどったりと言う事もまるでない。日程に関する事、物事の進行状況がすべて頭の中に入っていた。
『聖徳太子』は同時に10人の方の話を聞く事が出来たという。10人とまではいかないが1度にこれだけ多くの人と話ができるのなら『聖徳太子の後継者』として名乗りを上げる資格は充分にあるだろう。
『どうぞ。』と言われ我に返った。
『聖徳太子の後継者』が話しかけてきた。チラッと時計を見ると4時半を過ぎていた。約束が2時だから約2時間半ぶっ通しで電話と格闘をしていた事になる。
机上を見ると3台の電話の受話器がすべて上げられていた。どうやら『話し中』って事らしい。
やっと自分の番がやってきた・・・
前日に戻る。
長崎で電話を切ってから2週間が経とうとしていた。そろそろ、こちらからと思っていると仲介者の先輩から連絡があった。
『先方の担当者が忙しくて中々日程の調整ができなくて、遅くなって申し訳ない。』と言われた。そして、『直前で悪いけど明日の2時に民主党本部の○○さんあてに訪ねて行ってほしい』と言われた。
なぜ、鳩山由紀夫秘書の選考なのに民主党に行くのかと考える間もなく、民主党結党の経過もあって鳩山由紀夫事務所の責任者が党の事務方の責任者を務めていると説明があった。
次の日の事であり、もちろん仕事の日程も入っていた。しかし、何もない自分に巡ってきた数少ない、ひょっとしたら2度と巡ってこないチャンス。
ある意味人生を賭けた勝負どころだと感じていた。すべてを失っても必ずチャンスを掴み取りたかったし必ず掴むつもりだった。
社会人としてありえないが当日の『体調不良』で休むことを決断した。
朝起きると少しでも印象がよくなるようにめったに着る事のない黒に近い濃紺のブリティッシュスーツにレギュラーカラーの真っ白のシャツ、紺と赤のレジメンタルタイを選んだ。
そして、祖母が眠る仏壇に手を合わせた。
・・・
『大変にお待たせして申し訳ありませんでした。』
『聖徳太子の後継者』は深々と頭を下げた。一般社会ではあまり見る事のない角度だ。
そして、名刺を差し出した。そこには『民主党本部事務局長』と『衆議院議員 鳩山由紀夫秘書』と2つの肩書が入っていた。
『営業と言う仕事柄、お忙しい方とお目にかかる際は時間の余裕を持つようにしていますので大丈夫です。それよりも、お時間頂きありがとうございました。』とにこやかに答え、同じように深々と頭を下げた。
面接のスタートだ。
秘書としての勤務について、政治の世界の大変さについて等縷々話がありいくつかの質問に答えた。
そして、最後にいくつか聞かれた。
まずはサラリーマンとしての報酬についてだった。
『半年ぐらいなら貯金がありますから無給でも大丈夫です。その間適性があるか見てもらってそれから採用する・しないを決める形でも結構です。』と答えた。
もう一つは仮に採用になったらいつから来れるかだった。
『今日この足で辞表を出します。』と答えた。
答えが面白く感じたのだろう『聖徳太子の後継者』は初めてニコリとし
『無給って訳にはいかないし、まだ辞表をださなくてもいいですよ。来週、鳩山に会ってもらうかもしれませんが大丈夫ですか?』と聞いてきた。
『いつでも大丈夫です。日時はすべて合わせる事ができます。』と答えた。
その後、会社に休日出勤し上司に当日欠席の非礼を詫び若干の仕事を済ませ帰宅すると夜遅い時間にも関わらず珍しく父親が起きていた。
『どうだった?』と聞かれたので『聖徳太子がいたよ』と答えた。
『そりゃよかったな。』とだけ言うと席を立った。
父親の気遣いがいつになく身にしみた。
次回に続く・・・
神奈川県議会議員 滝田孝徳