昨日の新聞に、4月17日は鈴木貫太郎の命日と出ていた。

 

名前を聞いたことはあっても、何をした人か、まで即答できる人は数少ないのではないだろうか。
この人の果たした功績を考えれば、知名度が不当に低いように思う。

鈴木貫太郎は、太平洋戦争を終結させた総理大臣である。
狂信的に戦争続行を主張する勢力があり、主戦論者以外に首相の引き受け手がいない中、鈴木も首相就任要請を何度も固辞したが、天皇から「もうほかに人はいない。頼むから、どうかまげて承知してもらいたい。」と言われ、やむなく首相になった人である。
首相になって、終戦を実現したことで、結果として何十万の人命を救った。
このときも主戦派の襲撃を受け、間一髪難をのがれている。

それ以前の2・26事件のとき、鈴木は侍従長だったことから反乱軍の襲撃を受け、銃弾に倒れた。
このとき、妻たかは「とどめが必要なら私が自らいたします。」と言って、反乱軍を引き揚げさせたという。

生涯に2度暗殺の危機を経験した鈴木は、侍従長、総理大臣の経歴から政治家の印象が強いが、関宿藩士の家に生まれ、海軍兵学校を出た軍人であった。
もともと「軍人は政治に関わるべきでない。」という信条をもつ鈴木は、戦後、郷里関宿に帰り、農業振興に尽力した。


墓は実相寺にあり、埋葬された時、遺灰の中に2・26事件のときの銃弾が混ざっていたという。

鈴木貫太郎記念館を訪れたとき、館内はひっそりしていて、誰とも出会うことはなかった。

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