烏山城下の6町(赤坂町・中町・金井町・鍛治町(日野町)・元町・田町)についていくつかに分けて書いてきたが、最後に武家地について書いてみたい。

町人の町を南北に貫く関街道に並行した西側の通りに武家地があった。

南は元町、田町に接し、北は滝田口までの範囲だったとか。

武家地十四軒町と元町との境あった枡形は、今もその名残をとどめている。

この家は昭和の時代は作家が住んでいたが、空き家になっていたので、撮らせてもらった。

武家地の泉渓寺町。武家地造成のため?移転した泉渓寺は田町の南に現存している。

 

現存する烏山城唯一の建物として裏門が民家に移築され残っている。
もちろん創建時のものではなく、江戸末期のものらしい。

裏門というので釜が入り口にあるのかと思っていたが、神長門と呼ばれていたらしいので、十四軒町と田町の境にあったのかもしれない。
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十四軒町と赤坂町の間に五軒町があった。

その一画に最後まで残っていた武家屋敷は、昭和60年(1985年)に解体された。

烏山藩上級藩士(城主の弟?)の屋敷で、1850年に建てられたものだったらしい。

所有者にとっては、維持するだけでも苦労があったのだろうが、何らかの方法で保存できなかったのか、残念だ。

 

いま気になってること