メタファー | 瀧光の絵画世界

瀧光の絵画世界

水墨画、日本画、洋画など幅広い絵画制作活動をしています。
これまでの人生経験や美大大学院で学んだことをベースに、ブログを書いています。

 ブログ「アートネーム」において、2013年の年の瀬も迫り、「雅印」を制作するにあたって、私は、次の「アートネーム」を創作したことを述べた。
 

瀧 光  Taki Hikaru


 「瀧」とは、「三つの龍」を意味している。その「三つの龍」とは、「文学」、「美術」、「音楽」を表している。つまり、「芸術」を意味することになる。

 「光」とは、文字どおり、「芸術」が光輝いて欲しいという願いをこめた。    




 そして、翌年2月 相模原市民ギャラリーで開催された「あじさい大学学生交流展」において、「アートネーム」により修了制作「大山絵図」を出品した。
 春を迎えて、それまでの疲れを癒すかのように、私と配偶者は、熊野三山・熊野古道・高野山に旅立った。

 そこは、深い山々が連なり、荒々しい海が迫り、雨降り、雲流れ、霧立ち込め、時折晴間から強い陽射しが放射され、虹立ち・・・ 時々刻々、その変幻無限な自然のあり様は、まるで水墨画の世界の中に迷い込んだかのような旅路であった・・・
 そのような神秘体験にも近い不思議な旅であったが、その中でも、熊野那智大社別宮飛瀧神社から臨む、背後に那智四十八瀧を擁する那智大瀧は、圧巻であった・・・




 私にとって「瀧 光」はメタファー(隠喩)である・・・

 「瀧 光」は、「アートネーム」として創造されたが、はや10年経過して、私の活動に付随して様々に波及しており、単なる言葉ではなく、すでに実存していて、自然現象と同じように、私に様々なイメージを与え続ける・・・

 つまり、文字からは、瀧が瀧頭から落下するところに、陽射し光り輝く様子を示しているのだが、私にとっては、メタファー「瀧 光」として、三匹の龍が飛翔する姿であり、また、それは芸術が光り輝いている様を示していることにもなる。

 すなわち、「文学」、「美術」、「音楽」或いは「芸術」という言葉は、抽象的理論的知的意味媒体として多々解釈をもたらすが、メタファー「瀧 光」は、それらの具体化イメージとして、瞬時に直感的に把握される実体となっている。

 メタファーは「言語」として発生するのだが、次の段階では、視覚的なイメージとして存在することを求めるようになる。




 そして、2016年になると、その那智大瀧を水墨画で制作して、これを「三龍図」と題して、10月 私のはじめての個展に出品した。
 自らを象徴する「三龍図」を表紙絵として、個展のポスターや案内葉書に使って、多くの皆様に配布したものである・・・
 

 古代信仰によれば、龍は水辺に深く棲んでいるが、時至れば、忽ち瀧から天に昇ると伝承されている。 「三龍図」は、肉眼には見えない三つの龍が一斉に、滝壺から滝口まで飛翔して、そのまま天に昇る様子を描いた。
 ・・・瀧が下から上に流れるかのように・・・



 




 それに先立つ 2016年5月 第3回さがみ水墨日本画協会展には、メタファーには触れず、敢えて「瀧」という題名で出品した。 普通の瀧としては、どのように見えるのか、見えないのか? 私には関心があった・・・



その協会展において 日本画家 石崎昭三先生 による講評を受けた。 
先生は、 川端龍子の最後の弟子 といわれる。

先生は、最初に「何を描いたのか」と尋ねられた。

私は「瀧です」とだけ応えた。

それに対して、先生は次のように講評された。

「左右はよい」

「奥の空には墨をいれよ。

それから、瀧に流れを入れよ。画家の描いた瀧を見てみよ。皆画家はそうする」

と説明されただけでなく、

紙と鉛筆を取り寄せ、御自身が実際にその様子を瞬時に描き示してくれた。

最後に「そうすれば、瀧が音をたてて流れる」と・・・




 石崎昭三先生のように簡潔で的確で力強い講評を今まで受けたことはなく、先生の謦咳に接することができたことは、貴重な経験となった。

 


 そして、その講評内容は、全くそのとおりだと納得すると同時に、私の制作意図が間違っていなかったことも確信したものである・・・