今年の8月20日に出版させて頂いた絵本

『ボッチャの大きなりんごの木』



以来、図書館に入庫されたり、学校等で読み聞かせをして頂いたりと、子ども達からもたくさんのお手紙を頂きました。

子ども達の心に何かが響いてくれたのならこんなに嬉しいことはないです。

コメントでも、本当にたくさんの様々なご感想を有り難うございました。

100人いれば100通りの捉え方がありますね。

僕自身でさえもその時々で、見え方感じ方が不思議と変わってくるんです。


当初は、本当に出版できるのか何も決まってなくて、暗中模索、試行錯誤しながら、気づくと僕は「絵を描く」というか「未来を描く」ことに没頭していき、そこに光を見出しました。世の中へというよりも、僕にとっての希望の光、生きる糧でした。


絵本を描くようになったのもたまたまというか気まぐれ、気晴らし。最初はとにかく何でも良かったんです。本音を言えば、自分が逃げる場所が欲しかったんだと思います。何かにすがってないと心が壊れてしまいそうで。

僕は、毎日毎日ベッドの上で天井を眺めながら、頭の中で絵を描き、未来を描き、想像の異世界に心が救われました。

やはり役者という特異体質のせいか、自分で生み出した物語を創るということが好きなようです。

やっぱり生きたかった。自分を信じ続けました。

そしていつの間にか、僕を救ってくれた癒しの虚像の仲間達に命を注ぎ込みたくなっていきました。初めて描いた絵は、口にペンを咥えて画用紙に描いた「三匹のダルメシアン」。



『絵本』


僕はこの未知なる無謀とも思える挑戦において、内容的なメッセージは特にないんです。読者に対して、求めること、教えたいと思うこと、伝えたいことなど、押し付けがましい「限定的な」メッセージは何一つ考えていません。テーマ性とか教育的な見地を求めてしまうと、特に子ども達はそういう匂いをすぐに嗅ぎつけて、絵本から離れていってしまうと思うんです。

絵本は単に楽しいものであって、それ以上のことは必要ないと思ってます。感覚、直感的に感じるもの、その全てを尊重したいですし、全てが正解でもあるべき。子どもが自分の感覚を信じ、その感覚が尊重される経験をすれば、後々辛いことや苦しいことがあってもきっと乗り越えていけると思うんです。


『絵本もお芝居も芸術も、すべてのエンターテイメントは「想像と創造において自由で多様性の象徴になるべきもの」だと思っています。


そんな中で僕は、人が「生きる」ということを考え続けました。「生きるのは存在することではなく創造すること」。

「それは、常に何か新しいこと、何ができるのかを追い求める姿勢。『想像』と『創造』のサイクルを繰り返すことで、人は『生きる』ことを実感できると思っています。それがスムーズにできる社会が僕の理想で、僕が考えるインクルーシブな社会は、個人の創造の可能性に対して、適切なエネルギーが供給される社会。

「特にその力が豊かな子どもは年をとって大人になっていくにつれて、見える色や感じる味が変わってきます。僕たち障がい者という、子ども達の概念の枠にはまらない存在から、何を感じるかなんて、それはさまざまで、ピュアでユーモアがあって、ときに残酷で、ただそれが真実だと思います。


ボッチャにとって、、、

りんごとは?自転車とは?仲間、お父さん、お母さん、ファーとは?

希望と絶望

「生きる」とは?

そもそもボッチャにとっての「大きなりんごの木」とは

一体何なのか。


絵本の魅力は、絵が動かないところにある気がします。

だからこそ、子どもは自分の頭の中で絵を動かし、豊かな『想像力』が育まれると思います。絵は歳をとらない。だから読み手の感性が変わるほどに見え方も何通りにも変わります。


「現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと」そんな「想像」は、「創造」の出発点。

今まさに時代の変化のスピードが加速し、色んなものが進化開発され、「想像」と「創造」の距離が縮まり、未来を創る速度が急激に変化しています。「自分自らが未来創造に参加できる社会。

それには子どもも大人も関係ないはずです。むしろ子どもだからこその「想像×創造」さえあります。

未来には正解も不正解もありません。自分達の生きる新しい未来は、子ども達自身の手で新しく創造することだってできるんです。

だから、こうなんだと伝えたり、教えることよりも、まず大切なのは自分自身が感じること。そして多角的に考えること。教わるのではなく、ともに話し合うことが大切だと思います。そんなともにクリエイトできる『発想絵本』になってほしいなと思います。


そうは言っても、この絵本32だけでは伝えきれない「包括的な」メッセージはあります。

僕は、絵も脚本も素人で、世間的に評価されるものでもありません。でも、僕の絵本にかけてきた年間の想いは、誰にも負けるつもりはないですし、この夢に向かって突っ走ってきた年間は奇跡で僕の誇りです。

何度も跳ね返され、一時は駄目かもしれないと下を向きそうになったこともありました。

でも諦めなかった。人は何度躓いても何度でも這い上がれるんだということを、今様々な障壁にぶち当たり闘っている方々へ、また今の僕自身にも身を持って証明したかったんです。

この作品は僕の「魂」と「誇り」で、まさに僕自身です。


先日、とある取材で「どうして口で絵を描こうと思ったのですか?」と質問されました。

僕は考える間もなくこう答えました。

「ただ、手が使えなくなったからです。」

「じゃあ、口が使えるじゃん笑」

「多分、口が使えなかったら、足で描いてますね。足が無理なら、鼻が使えるんじゃないかな。鼻が使えなくなったらまぁ、またその時に、何かできることを考えます。」と。



生きていれば生きている以上…

やりたいこと1つの裏には、10のやりたくないことがある。

できること1つの裏には、100のできないことがある。

叶う夢1つの裏には、叶わない夢が1000はある。


10000に1つでも可能性があるなら、僕はその1つを全力で獲りに行きます。

最後前のめりにぶっ倒れることができたら、その場所の景色は変わってるはずだから。

この年間、僕は確実に生き抜きました。

そしてガラッと景色は変わりました。


僕は絶対に諦めません。


諦めなければ未来を変えることができる。


「僕はこれからも僕の物語を創り続けます。」


皆さんも、皆さんにしか描けない物語を誇りにしてください。



本当に皆様、有り難うございました。






絵本『ボッチャの大きなりんごの木』🍎

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