東京オリンピック、パラリンピック2020を終えてはや1週間。

遅ればせながらに語らせてください。




まず、コロナ禍でのリスキーな中での世界的な祭典でしたが、大会運営関係者、メディア、ボランティア、医療関係の方々の多大なるご尽力があり、無事に幕が閉じられたことと思います。

僕は、パラスポーツの番組で関わらせて頂いたアスリートの方はもちろん、テレビでたくさんの方々に声援を送らせて頂き、彼らの勇姿から本当に刺激をもらいました。



そして、パラリンピック開会式への参加、始まりのホイッスルに関してです。

一年延期された東京2020オリンピック、パラリンピック。

コロナ感染が拡大する中で、開催の賛否も分かれました。

開会式へは、心の底から笑って参加することができるのか。

家族も僕の身体を第一に考え、参加することにはかなり懸念していました。

正直、僕も迷い、一時は辞退しようかとも考えました。

その中で、「命」「生きる」ということについて重く考えさせられた一年。



困難な状況の中、それでも

何の為に出演するのか

何の為に自ら志願したのか




あの日、ICUで目が覚めて飛び込んできた悲惨な光景。

目に飛び込んできた絶望感。

もちろん僕も自分の体に何が起きたのか。

とんでもないことを起こしてしまったこと。

一瞬で察知できました。

ただその景色を変えたくて、漠然とズラズラ並べて言い放った可能性、夢。

エッセイ本、パラリンピックで何か、絵本、映像化絶対に歩く。

周りも少しだけクスッと柔らかい空気になったかな。もちろん僕自身も…


何かそういう夢というものにしがみついてないと、自分が自分でなくなるというか、これからを生きていく覚悟、今を生きてる実感すら持てなかった。今思うとそれくらい追い詰められていたんだと思います。


僕はこの四年間自分の限られた中での可能性を探し、その可能性を信じることで自分と周りとの関係も保ってきました。


ブログで、僕と同じように様々なことで闘ってるたくさんの方々と出会いました。

「一緒に闘いましょう」と、障壁に向かってファイティングポーズをとりました。

今を一緒にというのであれば、僕の今を見てほしい。今この瞬間の想いや今この瞬間の生き様を真っ直ぐに伝えるべきだと。

母や姉が反対する中、ドキュメンタリー番組として自身にカメラを向けてもらいました。

もちろん二人は僕の身体を第一に心配してくれての判断。その気持ちは家族として当然だし、理解はしていました。

ただ、父だけは多くを語らず、「好きに生きろ」と。

一人暮らしを熱望した時も、母は「大阪に帰ってきたらいい」と、父は「わかった。そのかわり二度と大阪に帰ってくるなよ」と一言。

父の厳しさと優しさを改めて感じ、涙が出るほど嬉しかった。


きっかけは僕が漠然と言い放った言葉の数々だが、もちろん目標を語ることで人は前を向ける。


僕はこのブログでたくさんの方と繋がりを持てました。

頑張る。前を向く。人を勇気づけるとか言葉では何とでも言える。

ただ大切なのはそれを実現させる為に自分がどんなアクションを起こしていくか。


ブログやドキュメンタリー番組やエッセイ本を通してたくさんの方の「滝川さん凄い!強い!勇気をもらってます!」という温かいメッセージの数々。

素直に嬉しいです。ただ、自問自答してみると、いつも違和感がありました。

僕はただ自身の不注意から怪我をしただけ。

それでその時の状況や想いを発信したに過ぎない。それで多少なりとも注目をされて…

僕の頭の中には常にこの言葉「ただ怪我をした人」。怪我をした事実に興味を持たれているだけ。


遡っても、僕は怪我する前から、何かに全力でぶつかって、胸を張って成し遂げたと本心から言えることは何一つない。


怪我をして今この体になったことには絶対に意味があるんだ。

むしろ意味があるものにしなければならない。

変わりたい。強くなりたい!

そんな想いからの、自分に課した、『十一』プラスワン。2019324日に口に筆を咥え、文字に起こしました。

何でもいい、小さなことでもいい、もちろん誰かのサポートを借りながらにはなるが、自分の意志と覚悟でどれだけ時間がかかろうが汗水涙流しながら、今持てる限りの才能からクリエイトされた結果を示したかった。

それはリハビリや想いを吐露したに過ぎないエッセイ本やドキュメンタリー番組では満たされませんでした。

僕はその想い一心でこの四年間突っ走ってきました。


その可能性を信じて、徐々にパーセンテージを上げるごとに僕のボルテージも上がり、いつしか具体性は増していきました。


パラリンピックに関しても、自ら志願し、俳優滝川英治としてではなく一人の人間滝川英治としてどこまでできるか試してみたい。勝負したい。


オーディションではテニミュの曲を全力で歌いました。

あの頃も大して上手くはなかったけれど、あの頃と比べると20%の出来だったといえばまぁ想像はつくかな笑


僕は僕自身の為に志願しました。


誰かの為に誰かの光に

もちろん誰しもがそういったヒーロー願望は持っていて当然だと思います。


ただ、そんな人様のことを考えられる余裕と強さなんて今の僕にはありません。


僕はただ自分自身が、変わりたい!強くなりたい!

自分が変わることができれば、そこから先、周りの世界の在り方も、周りの世界の見え方も自ずと変わっていくはず。

まずは、目の前をしっかり見据え、前に進むこと。

そして親父に少しでも安心してもらいたい。

家族や支えてくださったたくさんの方々にもそんな今の僕を見てほしい。

今でも何かある度に、親父とは会話を交わすんです。するといつも必ずエキサイティングな方向へ導いてくれるんです。




一年延期された東京2020オリンピック、パラリンピック。


困難な状況の中、それでも

何の為に出演するのか

何の為に自ら志願したのか

何の為に



コロナなんかにこの四年間の僕の覚悟が屈していいものか!



リスクある中でも、障害がある中でも、僕は今を生きたかった。

周りからどう言われようがどう思われようが笑われようがいい。

感謝の念とともに、、、

好きに生きよう。

全力で生きよう。

今を生き抜こう。




『僕は生きる為に志願しました』




開会式は、何とも言えない不思議な感覚でテレビに映っている自分を観ていました。

勇猛果敢に振る舞ってる滝川英治の立ち姿は、本当にカッコ良かったなぁ。


僕がやると確固たる意志を示してからは、本当に家族が支えてくれました。

同じ方向を向いて、希望を願ってくれました。


大阪の実家では、母が父の遺影を片手に観てくれたそうです。

家族や、今様々な困難と闘ってる方々の想いも背負って全力で吹き飛ばしました。

そんな様々な想いが詰まった笛の音は、父の耳にも絶対聞こえたはずです。

父との、一つの約束を果たすことができました。

「ありがとう」




パラリンピック、そして絵本と、

僕は自身に課した念願の『十一』プラスワンはもう十二ぶんに達成できたので、ひとまず下ろします。

それでも、もちろんこれから先も新たなプラスワンは探していきますけど笑。



僕はずっと信じてるんです。

僕が「歩く」という大きな大きな奇跡を起こすまでには、乗り越えなきゃならない、成し遂げなきゃならないステージがいくつもあるんだと!

それを一つ一つクリアしていった遠い先に明るい光があると確信しています!



最後に、

今回の東京パラリンピックで共生社会への関心も増え、これをきっかけに、社会がますます新たなステージに向かおうとしているはず。

障がいがあっても、スポーツに限らず、様々な活動をしやすい環境作りへと…

それと同時に、障がいがあっても、各々が何でもいいのでできることから少しずつ取り組もうとする意欲を掻き立てることで…

ダイバーシティな世の中に繋がるんじゃないかな😆


笑顔溢れる明るい未来へ…

よーい❗️

スタート‼️







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