9月15日で

事故に遭い

脊髄を損傷して三年が経ちました。


三年。

本当にあっという間に感じます。

ここまで心身共に支えてくださった

家族親族、仕事関係者、友人、ファンの皆様…

改めて、心から感謝したいです。

本当に有難うございます。




僕は障がい者です。


「前を向いて行こう」って言葉では簡単に言えるけれど、「前を向く」ことがどれほどどれほど難しいことかにも身をもって直面してきました。何度も挫折しかかりました。というより、挫折しました。


元々、制限のある心体ですが、

昨今のコロナ禍で

改めて、『生きる』ということ、『命』というものについてより深く考えさせられることになりました。本当に儚すぎる。


生と死は、180度両極端のようで、身近に存在する。僕も常に、「死」というものを身近に感じています。だからこそ、「生」というものを身近に感じられるようにもなりました。


ふと思うんです。


心も体もこんなにも痛いし苦しいのに


「なんで生きてるのかな?」

「何の為に生きてるのかな?」

「俺はなにを必死に生きようとしてるのかな?」






本当の所、結論は出ていません。




僕は強い人間じゃない。

弱い人間です。

弱い人間です。


ただ、

弱音を吐くことは決して恥ずかしいことじゃない。

思いの丈を吐露することは決して恥ずかしいことじゃない。


『助けてください』


こう叫べたらどれだけ気持ちが楽になるか。


そう学びました。




事故に遭い、「障がい者」となった僕は、

賛否色々な事を言われます。

顔も名前もわからない方から、

たくさん非難的な言葉の暴力を受けました。

ただ、自ら発信することを選んだ者として、いいも悪いも影響を与えてしまうのは当然。

だからこそ、僕自身も言葉一つ一つに責任と覚悟を持って発言しなければならないし、お互いのやり取りを真摯に向き合っていくつもりです。

その中で、顔も名前もわからない方から、

たくさんの勇気ももらっているのは揺るぎない事実。

僕は、ーの感情になってしまう自分を、+の感情になれる自分が相殺してくれるんじゃないかにかけました。




毎日毎日考える何かがあります。

常に心に引っかかるモノがあります。

それは希望だったり失望だったり

毎日考える誰かがいます。

誰かや何かを愛すこと、愛されること

誰かや何かに頼ること、頼られること

どちらにも喜びあれば憂いあり



生きることは得て失うもの。

生き続けることは辛いこと。

生き抜くことは耐えること。


=人生だと思います。




僕は、

自分一人ではほとんどの事ができません。

自分が嫌にもなります。

人に嫌気もさします。


それでも、障がいを

人とは違うんだと差別的に引いてしまうのではなく、

人とは違うんだと特別な個性なんだと押し出せるようになりました。


脊髄損傷をしたことで、気づけたこと、できるようになったこと、人との距離が遠くにも感じ、近くにも感じるようになりました。



人は皆、病気や怪我、コンプレックスや人に言いたくない過去、家族のこと、あると思います。

そんな、考えなければならない何かや誰かがいることが、生きている証であり、それでも生きていることは誇りなはずです。

当たり前のように生きていることって輝かしいし、めちゃくちゃ凄いことだと思う。

だから、もっともっと自分を褒めて褒めて褒めちぎって、愛して愛して愛撫してほしいです。




この苦難の中に起つ

みんなは凄いことなんだよ!

俺も凄いよ!





我慢強く耐え忍べば、必ずや光が見えてくる。

共に歩きましょう!






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