2018年、MONECCO5はこの年も佐賀のライブから始動する。正月気分の抜けない1月4日、当時の佐賀のアイドルのメッカ、656広場でのもくむつライブだった。
前年の今頃は「なかなか天草を出ない」「遠い」と言われていたMONECCO5だが、中西さんのKYUSHU IDOL QUEEN 参加を皮切りに福岡での遠征も増え、同時に佐賀や長崎への遠征もあったため、佐賀でもおなじみのアイドルになっていた。ただし、そこに小乃果さんの姿はなかった。前回話した通り、受験のために2017年の4月から活動休止されていたからだ。
さすがに2017年の前厄でぎゃふんと言ったぼくは、2018年は厄払いに出かけた。ついでに吉報も神様にお願いした。
さすが神様である。
その吉報はぼくの予想以上に早かった。
もくむつライブが開催された1月4日は木曜日だった。木曜日と言えば当時はまんてんちゃんねる(showroom版)の日なのだが、もくむつライブに出演しているため、1月6日の土曜日に順延された。
その1月6日のまんてんちゃんねる。新年一発目ということでメンバー全員出演と事前にアナウンスされていた。そしてふたを開けたら。

小乃果さんがいたのだ!
活動休止直後と違い、去年の夏頃から小乃果さんのTwitterの個人アカウントがあったので、一時期ほどぼくは小乃果さん不足ではなかったとは思う。
でも、リアルタイムで小乃果さんが配信に出演されたことはうれしかった。
「休止期間を取り返すため、すぐにイベントには出れない」とは言われていたものの、いつかは小乃果さんがアイドルとしてイベントに出演する姿を見られるかもしれないというのは、大げさかもしれないがこの日からの生きる柱になった。
もちろん、当時は公私とも忙しく、本当にイベントに行けるだろうかという不安と、おそらく3月末までだろうなというあきらめもあったのだが。
復帰後最初のライブは1月21日。見事に行けなかった。ぼくは地元の消防団の旅行の日だった。
広島の屋台村でお好み焼きを食べていたら、Twitterの通知が来た。
萌え豚さんが小乃果さんの写真を送ってくれたのだ。

ビールを飲みながら大声で話している中、ぼくはトイレに行ってもう一度このツイートの画面を見た。ニタニタするつもりで見つめていたのだが、思わず目が潤んでしまい、その姿を人に見られなくてよかったと思ったものだ。
うれしい報せはこれだけには終わらない。
MONECCO5のファンが集うLINEグループで「このかちゃんは進学ではなく就職する」という情報を目にしたのだ。誰が教えてくださったかは失念したが、広島から博多に帰ってきて中州が一望できる、INSAの入っているビルの4階のレストランでそのLINEを見たのを覚えている。
きっと4月には辞めるかもしれないという不安が消えたのは素直にうれしかった。
そして進学をあきらめてまでMONECCO5に残ってくれるのなら、いよいよ遅れてきたエースが覚醒するのではないか、覚醒してほしいなと酔った頭で考えていた。
1月末、メンバーの田中ちづるさんが卒業を発表する。進学のための前向きな卒業だったけど、個人的にチャリティーライブの頃に見ていたメンバーの卒業はショックだった。
3月31日の卒業ライブで卒業された。これがMONECCO5初の卒業ライブだった。
そんな中、2月4日にボウリングオフ会をやるとの発表があった。名付けて「真冬のボウリング大会」。
これはMONECCO5初のオフ会でもあった。たしかぼくのスケジュール的には消防団の用件が入っていた気がする。というか、この年の2月と3月はほぼほぼ消防団で休日の予定は埋まっていた。しかし、「いままできちんと出てきてるんだから、この日だけは見逃してくれ」と周りに頼み込んで、ぼくは天草ボウリングセンターに向かった。
この日のボウリングのチームはランダムで、メンバー1人とファン3人で1レーンという組み合わせ。厄払いはしたものの基本的に持っていないぼくは、小乃果さんと同じチームにはなれなかったけど、一緒のチームだった今福夏美さんが持ち前の運動神経の高さから1ゲーム目だけやたらとうまくて、これは優勝しないといけないんじゃないかと本気になってしまい、1ゲーム目はあまり小乃果さんを見る余裕はなかった。いやむしろ、久しぶりなのが恥ずかしくて見る余裕がなかったのが本音かもしれない。
2ゲーム目になると今福夏美さんの調子も落ち、同じチームだった中西推しのゆうやくんから「岡崎チームのスコアがすごいです」という情報が入り、ようやくぼくは優勝のプレッシャーから解放された。
レーン的には1レーンが小乃果さん、2レーンが赤城雅さん、3レーンがぼくのいた今福夏美さんのチームだった。小乃果さんのレーンを見ようとすると必然的に目に入る2レーンで、赤城雅さんがかなり笑わせてくれたのは覚えている。
あと、たまたま見ていた時に小乃果さんがストライクを出して、まるで小乃果チームの人間のように喜んだ記憶もあるなあ。
MONECCO5初のオフ会だったけれど、物販で交流していたメンバーだったのでかなり楽しめた。

ボウリングを2ゲームして、おじさん(ぼくのことだけど)はへとへとに疲れているのに、メンバーはそれからライブをやってくれた。アイドルの体力ってすごいと、オフ会的なもののあとのライブを見るといつも思う。
ボウリング終了後のライブは、ボウリング場内の会議室のようなスペースで行われた。事前にファンから投票したリクエストによるセットリストだった。
音響はラジカセでマイクのないステージだったが、この頃のMONECCO5では二度と聞けないような懐かしい曲もやってくれて楽しかった。
ファンの楽曲投票の順位は「1位 キセキノサキヘ、2位 ラクガキアクセル、3位 なんてんまんてん」だったと思う。
ただ、この日、懐かしい曲をやってくれたおかげで、完全にぼくは小乃果さんのステージを見るのが久しぶりという感じがなかった。
ラッシュさんから「小乃果ちゃん、ちょっと大人っぽくなりましたね」と言われて、はたと小乃果さんのステージを見るのは1年ぶりと気づいたほどだった。
そして、小乃果さんがいなかった一年以上の間、ぼくはMONECCO5を、時には赤城雅、時には江上真帆と見ながらも、全体を見ていたことが多かったので、じっとひとりのメンバーばかりを見るのはひどく懐かしい気がした。
そう考えるとぼくは、小乃果さんをずーっと見続けていたかったが、この日二曲目の「IFの向こう側へ」とラストの「キセキノサキヘ」は、かつてのチャリティーイベントの「なんてんまんてん」のときのように、小乃果さんはステージから外れていた。さすがにそこでじろじろ見るのは、見た目は立派な中年変質者のぼくは、これ以上そういう目で見られるのはつらいなと思い、小乃果さんを見るのを避け、タオルをもって振り回す赤城雅を見ていたりもした。
この日、物販では、ただひたすら「MONECCO5を続けてくれてありがとう」と言い続けた記憶がある。
本当は以前にTwitterでぼくは「もし帰ってきてくれたら、おかえりと笑顔で迎えたい」と言っていたけれど、「おかえりと言い忘れた」と気づいたのは帰りの車の中だった。
そのぐらい、まあ二回目のステージということもあったのだろうが、ブランクを感じさせず、うまくMONECCO5に戻ってきていた印象だった。
音響もしっかりしているステージで復帰後のステージを見るのは2月の末。2月25日にOTBの10回目ということで県内外からもアイドルを九組呼んで、大々的にポルトホールで開催されたOver The Bridge Vol. special のときだった。
ぼくはこのライブを見るために、かなりの力業を使った。
去年の三月に「1年だけの条件」で受けた消防団の分団長の任期も終わりに近づいていた。そのため、1月から日曜日はほぼほぼ引継ぎの行事や訓練、更には水害の捜索などで予定が全部埋まっていた。その埋まっているスケジュールのひとつに「分団の幹部との別れの旅行」があったのだ。四月から毎月3000円を積み立てているので行かないわけにはいかない。
通常ならば幹部の一人が幹事となって旅行の計画を練るのだが、ぼくはここで「分団長自ら幹事に名乗り出る」という縦社会の中では珍しい暴挙に出て、行き先を天草にした。ただし、土曜日の夜は熊本で遊びたいと若者が言うので、しかたなく熊本に泊まったが、その翌日はぼくを含めた幹部9人で「これは声を出す研修だ」と言って、ポルトに連れて行った。
なお、この日もゲストを呼んでいてライブ時間は四時間ぐらいあったと思う。MONECCO5はオープニングに1ステージとラストに1ステージだった。MONECCO5の1ステージ目が終わって、15分後ぐらいに連れてきていた幹部三人が、ぼくの研修命令を無視して「すみません。道に迷いました。探さないでください」というLINEを送信して逃亡していたので、あとで厳しく縦社会のパワハラを見せつけてやろうと思ったが、MONECCO5のステージには戻ってきたので許してやった。
この日のポルトのMONECCO5のステージは、4月1日に代表決定ライブを控えたTIF予選をかなり意識したものだった思う。新曲「St…you」の発表も含めて、かなり気合が入っていた。ダンスも安定していたが、これまでのステージよりも歌唱にかなり力を入れていたように感じた。ラストの登場の時のメンバーの表情など、まさに戦いに向かう戦士のようだった。
この日も「IFの向こう側へ」と「キセキノサキヘ」に小乃果さんは参加しなかった。
ただ、「St…you」も含めて、出演した曲の小乃果さんのダンスは素晴らしかった。もちろんお得意の唄も。
この当時でも口々に小乃果さんは「ダンスが苦手」とおっしゃっていたけれど、とてもそんな風には見えなかった。
まあ、これは想像なのだが、イベントに出演していても参加できない曲があるように、MONECCO5の場合、あるクオリティに達しないとステージで躍らせないという決まりがあったのだと思う。
だから、ぼくらがステージで見れる小乃果さんは、そのある一定のクオリティを越えたことで踊れているわけで、とても苦手には見えなかったのだろう。
だからやっぱりぼくは小乃果さんの「ダンスが苦手」という言葉には首をかしげていた。
ラストの曲は「キセキノサキヘ」だった。早く「キセキノサキヘ」で踊る小乃果さんを見たい。
そんなことを考えながら、ぼくはステージを見ていた。
ステージ終了後は物販になる。物販交流会に当たり前のように小乃果さんがいる現実が改めてうれしかった。
すぐにぼくは小乃果さんに並んだ。
小乃果さんは物販ではどちらかというと自分のことを話すより、目の前のヲタクについて話をするような人だ。たとえば、ちょっと変わった洋服を着ていると「今日は服がいつもと違うね」と話を始めたりするような。それでそこから話がちょっと膨らんだところで時間が来て終わるというのがいつものパターンだった。
もちろんこの日もそんな感じで「消防団の旅行で今ここに来てるんだよ」「そういえばわたしもこの間旅行に行った」「高校の卒業旅行でしょ。Twitterで見た。どこに行ったの?」「ふふ、九州は越えたよ。どこでしょ?」「北海道!」「そんなに遠くはない」みたいな他愛のない会話で楽しませてもらっていた。
ただ、何回目かに並んだ時に「今日のダンス、すごくよかったよ」と真顔で言った記憶がある。「嘘」と小乃果さんは言って、そこからぎこちない空気が流れた。会話の止まる一瞬こそが後悔の始まり。ぼくは冷や汗を流した。
この言葉は本当に正直な感想で、実際、ぼくは踊っている小乃果さんも大好きだったのだけど、このときはさすがに反省した。
詳しくは知らないけど、MONECCO5にはダンスの先生がいて、運営陣がいて、もちろんメンバーもいる。
優等生の小乃果さんにとって認めてほしいのは、ぼくみたいな推しメンバイアスのかかった素人の評価ではなく、それらプロや実際にやっているメンバーたちの指摘だったのだろう。
だから、ぼくが小乃果さんのダンスを褒める必要はなかったのだ。
生半可に長い間ヲタクをやっていたぼくは、推しのヲタクにおだてられて駄目になったアイドルを見たこともあった。
この子はそうならない。
そして自分のために一生懸命がんばれる。
ぼくは変なことを言ってしまったと反省したが、この一件でもっと小乃果さんを好きになった。
なお、これがぼくのパワハラで参加してしまった人々である。意外に楽しそうじゃん。

3月に入り、厄払いはしたものの、ぼくには不穏な空気が起こっていた。
TIF九州予選のある4月1日はもともと消防団の入退団式なのであきらめていたのだが、どうもその日に消防団から足を洗えない可能性も出てきていた。団本部の副方面隊隊長という役職を頼まれたのだ。ぼくは断った。そもそもそんな器じゃないと。でも、押しに弱いのです。結局断れず、これもまた「一年しかやらない」という条件で受けてしまった。
この年はわかる人にはわかるだろうが、ポンプ操法大会が全国大会まである年だった。分団ならば市大会で負ければそこで終わりなのだが、団本部ならば必ず市大会優勝チームと県大会までは付き合わなければならない。正直、やっていくうえで楽しいこともあるのだが、小乃果さんが復帰したのにこれはなあと思ったのも事実だった。
結局、3月10日頃に内諾をして、土曜日の3月17日に就任祝いをやってもらった。夜中の一時過ぎまで中州で騒いだ。そのまま翌朝、ポンプ車の点検に出向き、普段だったら点検のあとも食事に行って、食事と言ってもそこで酒を飲んで一日が終わるパターンだったのだが、この日は「昨日が遅かったんで帰るわ」と言い、ぼくは家に帰るとシャワーを浴びて熊本に向かった。
3月18日は「熊本駅春の桜まつり」にMONECCO5が、そして小乃果さんが出演するからだ。天草ならば朝早く起きてからじゃないと行けないが、熊本市内ならば高速を使えば消防団の点検のあとでも行けた。
会場に着いて驚いたのはMONECCOO5のファンがかなり増えていたと実感できたことだった。
共演がトキヲイキルということで福岡からも顔見知りのヲタクも来ていた。「物販でたきびさんの名前を出すと話しやすかったです」などとそれらのヲタクに言われて、ぼくはひとり悦に入ったこともあったが、そんな人たちも「天草だから知らなかったけどいいグループあるんですね」と言ってくれて更にうれしかった。
ステージ全般で言えば、一年前のスマイルパークで感じた熊本クリアーズとの魅せ方の差。これをフロントメンバーの岡崎さん、中西さん、江上さんが埋めてきているという印象が強かった。激しいダンスをヲタクは見たいわけではなく、ヲタクはダンスを見て楽しくなりたいものなのだ。一年前はそのヲタクを楽しくさせるという点でMONECCO5と熊本クリアーズには大きな差があったが、この日は目線の送り方やフロアとの呼吸など、要所要所でダンスを楽しく見てもらおうと工夫されていた点が多々あった。音響の問題で、2月末のポルトのように歌に力を入れられないといった理由もあったと思うが、とにかくダンスを楽しく演じているメンバーが多かった。
そんななか、ぼくの小乃果さんはまじめだった。失礼な言い方をするならば、愚直なほどまじめだった。
でも、ぼくはこれでいいんだと思った。いや、これこそが長野小乃果なんだと。
さっきも書いたが、この頃からMONECCO5のファンが増えてきているのを肌で感じていた。
アイドルグループはファンが増えると入口的なメンバーにファンが偏るようになる。
実際、この頃の中西里緒さんはすごく人気があったし、それに続けと岡崎さん、江上さんの人気もすごくなっていた。
はじめは出遅れたと言っていたが、もうここまで来ると小乃果さんのことを「遅れてきたエース」とは言えないほどの人気と知名度に、この3人とは差が出てきていた。
でも、それでいいんだと思った。
ちょうどこの頃、小乃果さんと同じように4月から社会人になる今福千香子さんがブログを書いている。
そこで千香子さんは「これからも自分のペースで頑張っていきたい」と書かれていた。
小乃果さんもそれでいいんだと思った。
小乃果さんのスピードで、小乃果さんの心地よい状態でMONECCO5をやってほしい。
ぼくの願いはそうだった。
もっと人気が出てほしいとか、MONECCO5のエースになってほしいとはもう思わなかった。
もちろんファンは増えてほしかったけど、社会人になるのだから、そういうのに一喜一憂しないで、ひたすらに小乃果さんにMONECCO5をやってほしかった。
そして、この日の小乃果さんのまじめなダンスは、小乃果さん自身も千香子さんと同じように、自分のペースで頑張ろうとしてくれてるのだなとなにか安心したのを覚えている。
ちなみにこの日の物販でのデジショット撮影。

好きにポーズをしてと言ったら、こんなポーズをしてくれる小乃果さん。
彼女のこういう一面がもっと表に出れば、もっとたくさんの人と応援できるのにとは思った。
年度が替わり、4月1日。副方面隊長というリアルに副師団長のような肩書でぼくが入退団式に参加しているとき、MONECCO5は二回目のTIF九州予選の代表決定ステージに臨んでいた。
まるでプロ野球の試合をチェックするかのように、ぼくは空き時間にTwitterでその状況をチェックしていた。すでに式典は終わり、地元の偉い人たちとの祝宴も終わり、その祝宴のお酒も残ったまま飲み直していた二次会の店で、ぼくは「予選ステージ通過」を知った。去年は予選ステージで敗北し、15分しかTIF予選の場でアピールできなかった。それが今年は予選ステージを突破できた。決勝ステージの九州で四つしか残れない席にMONECCO5が残れたのだ。しかも残り三つは福岡のグループで、熊本のグループはMONECCO5だけ。もちろん、熊本のご当地アイドルとして初の快挙。
うれしかった。
当日はSHOWROOMで配信していたのだが、とはいえ、そこそこ上の人のいる飲み会でおいそれと動画を見ることはできない。せめて会場に行けなくても、配信ぐらいは見たかったなあとひどく後悔した。
結果は惜しくも代表決定戦では届かず、TIFの出場にはならなかった。
ただ、ぼくは翌日朝から動画を見返して、行けなかったTIF予選のステージへの思いを馳せた。
もう解散するグループだから言ってもいいかなと思うけど、MONECCO5が最高のパフォーマンスを見せた年は2018年だと思う。
「どうせ天草と言われることが嫌い」と当時、紫谷さんはおっしゃっていたが、「どうせ天草」どころか「なんで天草」と言いたくなるぐらい、福岡などのいわゆる都市圏のアイドルと比べても遜色のないパフォーマンスをしていた。
そしてこの最高の年、2018年で最高のステージと言えば、ぼくは会場にいなかったのでそれを語れないのが非常に悔しいが、このTIF予選のステージだったのではないかと。
そしてその場に小乃果さんがいてくれたことがうれしかった。
実は、このTIF予選の動画を最初に見た時は、一曲目の「なんてんまんてん」のダンスで小乃果さんのネクタイがほどけそうになり、大丈夫かなとハラハラして見た記憶がある。なんとか曲が終わったあと、たまたまMCの立ち位置が岡崎伶奈さんの横で、ネクタイを結び直す小乃果さんが動画で見られて「わー小乃果ちゃんらしくてかわいい」とニヤニヤしてた。それだけで小乃果推しのぼくは満足だったけど、曲が進むにつれて、メンバーの本気度と、そのメンバーの中でしっかりと活躍している小乃果さんのかっこよさは、動画で見ても素晴らしかった。もっと小乃果さんを映してよと思った場面も何度かあったほど、ずっと見続けたいほど素敵な小乃果さんだった。
このあと、この年は何度か、純粋に小乃果さんのパフォーマンスに見とれてしまうステージがあったのだけど、その予感をさせる動画だった。
MONECCO5もラジオのレギュラー放送の「まんてんちゃんねる」が始まり、新一号橋のイメージソングに「キミを待ってる」が選ばれ、その新一号橋や天草自動車学校のテレビCMにも起用と上り調子だった。
この上り調子の中で小乃果さんがどんなに輝いていたかは、次回話そうと思う。