こんにちは。
「自分を生きる」ために。
拗らせて行き詰まった心と現実を根底から解決する
心理セラピスト福満です。
5月の電話カウンセリング・対面個人セッション受付中です。
さて早速ですがこちら先日の記事です。
ずるい攻撃されてない?という記事読んでいただけましたでしょうか。
はっきりと抗議しにくい
微妙な意地悪や
絶妙な無視や
遠回しな嫌味など、、
受動攻撃的な意地悪や嫌がらせの事ですが
そういう意地悪の対象になりやすい人っているんです。
この中で
自分が嫌われてるかも
という不安が強い人ほど
それを打ち消したくて
あの人が私に意地悪したのではなく
私が悪い、、
と思いたがるのです。
相手の意地悪を打ち消しちゃうんですよね。
と記載しました。
平たく言うと
ずるい攻撃者
あなたを利用する人
の格好の餌食になるって事なので
これ、人生レベルでかなりやばいので
今日はここ、解説していきますね。
自己否定の強化
あの人酷い人だ
あの人に酷い意地悪されている
これを認めて初めて人は
「意地悪」に対して、正当に怒る事ができます。
必要なら戦う事ができます。
でも、、、
どうしても思考が
「いや、私が悪いところがあるからかも」
「あの人は優しいはずだ」
「あの人はみんなに好かれてるし」
「あの人を嫌いになりたくない」
そんな風に
ぐるぐるしていませんか?
確かに自分を振り返るのは大切な事です。
でも、、、
結局いつも最後は「自分のせい」
という着地していませんか?
そうだとすればこれが
「自己否定」の強化になるのです。
意地悪をされたのに
結局その
怒りも
嫌さも
原因も
「自分がダメ」という結論にしながら
人は幸せにはなれないです。
そして「自分がダメ」と
自分のせいにしながら
意地悪な人と戦う事はできません。
攻撃に対して
「戦え」という事ではなく
時には戦う必要もあるという事です。
「戦う」という選択肢を排除した結果
理不尽な事をされているのに
・逃げる
とか
・スルーする
とか
・相手に合わせる
とか
なんなら
・こっちが謝る
といった迎合をするので
ずるい人の「ずるい攻撃」の格好の餌食になるのです。
自分のせいにする利得
ではなぜあなたは
「自分のせい」という自己否定を選ぶのでしょうか。
そこには利得があります。
自分のせいという事にしてさえいれば
・嫌われなくて済む
・嫌われたという現実を感じなくて済む
・自分さえ直したら受け入れてもらえる
という期待を持ち続けていられる
・相手と敵対しなくて済む
・相手の下に入って、相手を頼りにできる
・揉め事がおこらない
等の利得です。
これはとても怖い事です。
だってこれは
「自分が悪い事にして相手を飲み込んでいれば
相手の支配下で、存在する事ができる」
という事だからです。
自己否定する事が生存戦略になっています。
親への執着と理想化
もう気付いている人も多いのではないでしょうか。
そうです。
これは幼少期の親との関わりが
大きく関係しています。
小さなころ親はあなたに
・理不尽に怒る
・地雷がわからず急に怒る
・怒り出すと終わらない
・兄弟・姉妹間で差別や意地悪をする
・いつもあなたが悪者
・話が全く通じない
・ネグレクトやいじめ
という事はなかったでしょうか。
子供にとっては
親は絶対です。
親に嫌われた
なんて認めるくらいなら
「自分が悪いから怒っているだけだ」
と思いたい。
親がおかしい
と気付くよりも
「自分の方が間違っている」
と思う方がまだ安心。
だから
どんなに理不尽でも
どんなに本当は腹が立っていても
どこかで
お母さんは悪くない
お母さんは自分を愛してくれている
お母さんは本当は優しい
お母さんは
きっと
本当のお母さんは。。。。
これが親の理想化です。
*
そうやって
どこかでずっと親をへの期待を捨てきれていない
または
親なんてもう諦めた!と言いながら
執着が手放せない
この感覚が無意識に残っていると
大人になっても
どこかで
「自分のせい」
という着地を選ぶ思考が
止められないのです。
恐怖の開放と自立心
いくら頭でわかっていても
親の理想化
親の執着って
自分の意志の力で
止める事はできません。
なぜなら
理想化
執着を手放すには
幼少期に
自己否定してまで抑えていた
・親がおかしい
・親が自分を大事にしていない
その絶望や恐怖に触れる事になるからです。
ああ、、
いつも自己否定で着地している
と心当たりのある方は
ぜひご相談くださいね。
この恐怖を開放する事で
本当の意味での親からの解放され
自分の人生の自立に向かう事ができます。
それは
ずるい人の「ずるい攻撃」に悩む人生から
自分の意志で生きる人生に
あなたがシフトチェンジできるという事です。
それではまたーー。
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