このゲームはある特徴を持っている。それはチャプター毎に物語が独立していて、しかも時系列がバラバラなことだ。独立はしているがもちろんそれぞれ関連していて、ユーザーのゲーム操作理解度やストーリーの起伏に合わせて特徴あるスタイルを生み出している。
しかも各チャプターはまるで違うゲームであるかのようにほぼCGの使い回しがない。常に新鮮な感覚を維持出来ていて、マンネリ感とは程遠い。
操作も一定ではあるが、かといって共通でもない。だが極めてシンプル。
複雑なようでいてシンプル。シンプルなようでいて複雑・・・一体このゲームをどう理解して良いのでしょうかw
断っておきますけど、私は個人的にこのシステムは好きです。そしてかなり知的です。
さてシンプルイズベストのシンプルってどういうのがシンプルなんでしょうね。
RPG、AVG・・・1本道ゲーはシンプルなんでしょうか。
時系列に従って確実に育つ、ストーリーの分岐がない・・・確かにシンプルですね。なにしろ迷いがありませんから。
○ボタンは攻撃、×ボタンはジャンプと決まっている・・・確かにシンプルです。当然です。敵の種類によって操作が違ってたら大変ですね。複雑です。
「BEYOND: Two Souls 」は上の定義に照らし合わせるととても複雑なゲームということになります。だけど個々に目を向けると非常にシンプルに出来ている。直感的と言って良い。
これはまるでジグソーパズルのピースの1辺1辺はシンプルだが全体では複雑と言っているような感覚ですね。無駄を極限まで減らす作業をシンプルだとして定義するなら、個々はとてもシンプルなんですが、無駄の定義次第で大きく方向性が変わる・・・みたいなw
シンプルイズベストのシンプルの方向性が日本人の感覚と大きく離れていて、極めて西洋的な価値観、というか科学的感覚と言ったらいいのか・・・一回全部可能な限り分解して再構築・・・みたいなものかなーと考えさせられます。分解などせずにそのまま受け入れてしまう事が多い日本人には、再構築が必要な分すんなりとは受け入れがたい感覚が残るのでしょう。
出産シーンなんかもありまして・・・赤ちゃんをとりあげて臍の緒をはさみで切るアクションを操作するゲームなんて未だかつて出会った事などありませぬwwww
だけど、このシーンはジョディの記憶を呼び覚ます重要なシーンであると同時に「生と死」というこのゲームの底流に流れる壮大なテーマを気づかせる決定的なシーンになってますね。
「BEYOND: Two Souls 」のTwo Soulsというのは一見するとジョディとエイデンの物語りととらえます。しかしこれはジョディの人生を通してユーザーとのTwo Soulsを体験、すなわちエイデンとユーザーが一体化するゲームとの見方も可能です。もしくは更にBEYONDが付いてますからね、ゲーム自体を超えてユーザーの人生そのものを重ね合わせる・・・という解釈も可能ですね。というかそれが順当な解釈なんではないでしょうか。ここまで到達させることこそが前回のエントリー内で言ってる70%の中身だと思うんです。だからこそ評価の振れ幅が大きくなってる。受け手の感受性に大きく依存した作り・・・現代日本でこんなゲーム(他のエンタメ作品を含め)を作る事が可能なんだろうか・・・。
このゲームと通じて、役者が演じるに足るシナリオ、演出を創出するってのは並大抵じゃ出来ないことなんだよなーと改めて思うと同時に、なんでも自由に出来そうで出来ていない、成熟化したゆえに硬直化している現代世界を感じたような気がしました。



