塾講師が諭した「小学校の存在意義」 | たけぞーから見る世界(元:武奘の弓道日記)

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弓と、哲学と、教育と、日常と。(これからは弓以外のこともいっぱい書きます。とりあえず更新率アップを目指して。)
どうぞ、たまには他人の視点から世界を見ていって下さい。

こんばんは。

お久しぶりです、たけぞーです (^~^)

「教育的なこととか」というテーマに記事を上げるのは、初めてになります。
面白いことが書けるか分かりませんが、僕の視野をお伝えしたいと思います。

Facebookで興味を惹くタイトルの記事が、シェアされていました。
それがこちら。

小学校の授業なんか意味がないと主張する、学歴主義・塾信者の母親。その時塾講師が諭した「小学校の存在意義」が、教育の本質を物語る。



以前、『あすなろラボ』というTV番組で、塾講師の林修先生が出演している回がありました(2013年7月14日OA)。

このときも、少し、ネットを中心に話題になりました。
塾講師と教師の違い。

そのとき林先生は、

「学校の先生と予備校の講師ていうのを見てて、僕は圧倒的に学校の先生が大変だと思ってるんですよ。学校の先生は、生活指導・学習指導、この2つやんなきゃいけないんですよ。僕らこれ(学習指導)だけでいいんですよ」

とおっしゃっていました。


僕としては、「そうだそうだ!教師は大変なんだ!」と言いたいわけではありません。
こういう話題は、保護者への批難が中心なのではなく、公立学校への期待や役割が強く出ている結果だと、個人的には思っています。

私が長年嗜んでいる弓道には、儒教の書物『礼記』からの引用が、指導でよく用いられます。

そこには、

「射は仁の道なり。射は正しきを己に求む。己正しくして而(そ)して後発す。発して中(あた)らざるときは、則(すなわ)ち己に勝つ者を怨みず。反ってこれを己に求むるのみ。」

と書かれています。

学校教育を批難する保護者を「勝つ者」と言うわけではありませんが、教師はただ「反ってこれを己に求むるのみ」をすべきと考えています。


だからこそ、基本的な公教育の役割を、こういう話題で保護者の方に理解していただいたうえで、学校や教師は求められていることを、より高い次元で実現しなくてはいけないな、とつくづく思うわけです。


教育って大変です(笑)

あっさりしていますが、今回はこれで失礼します!
(`・ω・´) ふもっふ


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