「kamakura」をめぐって-平野武蔵 VS 舘ひろ子3rd Edition (8)の続き

 

 

ひろ子「今夜泊めてよね・・・」

媚と甘えを含んだひろ子の声は、サザンの「Long-haired Lady」よりも官能的に武蔵の耳に響いた。
武蔵は年甲斐もなく胸の高鳴りを感じた。彼のハートのスキップビートなど知る由もなく、ひろ子はソファの上で長く伸びた華奢な足を組み、スマートフォンで武蔵のブログをブラウズし始めた。しかし、間もなくスクリーンをスクロールする指がとまった。

ひろ子「ねえ、ちょっと」

ひろ子が不機嫌な声を上げた。その声に含まれるとげとげしさは、今夜泊めてよねの甘さなど微塵も感じさせなかった。
瞬間的ともいえるこの感情の変化が何によってもたらされたのか、武蔵には見当もつかなかった。

ひろ子は顔を上げ、険しい表情で武蔵を睨んだ。

ひろ子「問題です」

武蔵「は、はい、何でしょう」

ひろ子「『おいしい葡萄の旅ライブ』DVDがリリースされたのは何年何月でしょう」

武蔵「2016年1月6日!」

ひろ子「正解じゃねえかよ!」

正解したのに何故怒られるのか武蔵には理解できなかった。

ひろ子「あなたねえ、何でその頃に『KUWATA BAND』の事なんて書いてんのよ」

武蔵「それは子泣き爺さんからの手紙だよ。俺が書いたんじゃないよ」

ひろ子「知るか! 普通は『おいしい葡萄』について書くでしょう! 旬のものについて書くでしょう! だから、あんたのブログは読んでもらえないのよ!」

武蔵「セイヤさん☆が書きたいことを書けって言ったから・・・」

ひろ子「知るか! あなたそんな浮世離れしてるから、セイヤさん☆とか子泣き爺とか変な友達しかできないのよ!」

武蔵「変でもいいだろ。『天は人の上に人を造らず』」

ひろ子「子泣き爺は人じゃねえだろ!」

武蔵「さすがの諭吉も人と妖怪のユニオンまでは予見できなかったか・・・」

ひろ子「諭吉はこの際どうでもいいんだよ! あんたねえ、もっと時代に寄り添いなさいよ。家に閉じこもって、読まれもしないブログに何時間も費やして」

武蔵「いいじゃねえか。ちゃんと仕事してんだから、フリータイムぐらい好きなことするのさ」

ひろ子「ほんとにちゃんと働いてんだか、あやしいもんだわ」

武蔵「同僚に聞いてみろよ。俺がいかにプロフェッショナルなハードワーカーか分かるから」

ひろ子は相手にせず、再びスマホをブラウズし始めた。武蔵のブログなどもはや読んではいなかった。
空腹を感じ始めたので、この辺りでおいしそうな店はないか検索していた。

ひろ子「あら?」

武蔵「どうしたの?」

ひろ子「この辺にサザンファンが集うお店があるらしいわよ」

武蔵「サザンファンが集うお店?」

ひろ子「これ、このお店の住所、あなたのと番地が違うだけよ」

ひろ子は武蔵にスマホを渡した。
スクリーンには食べログが映し出されていた。
「小料理屋 辻堂あたり」というのが店の名前だった。

ひろ子「変わった名前ねえ」

武蔵「「夜風のオン・ザ・ビーチ」から取ったんだな。マニアックな名前の付け方だなあ。しかもこの辺り、ぜんぜん辻堂あたりじゃないし」

地図を見ると、ここから徒歩1分の場所だということが判明した。武蔵がコンビニに行くとき、よく通る道沿いだった。この辺は住宅地だ。小料理屋などあっただろうか。

見慣れた風景の記憶を呼び起こしている武蔵から、ひろ子はスマホを取り返し、食べログの1件だけあるレビューを読み始めた。

ひろ子「『“サザンファンが集うお店”-こんなところにお店あったかなあと思いながら、ふらりと立ち寄りました。カウンター席とテーブル席が二つだけのこじんまりとしたお店で、私以外の周りのお客さんは常連さんらしくサザンの話で盛り上がっていました。私はサザンファンではないので、最初はちょっと肩身が狭かったけど、隣の席の方から「サザンの好きな曲は?」と話しかけられて、適当に「アロエ」と答えたら、お店の女将さんがアロエジュースをサービスしてくださいました。それからは周りの人と仲良くなり、居心地が良くて、気づいたら3時間が過ぎていました。日本酒と小皿料理をいくつか注文して、どれもおいしかったけど、とくにオイキムチが絶品でした!』 だって。おもしろそう! 行ってみましょうよ」

武蔵「今から? もう閉まってるんじゃないの」

ひろ子「まだやってるわ」

武蔵「外に出るの面倒だな」

ひろ子「すぐそこなんでしょ。ブログで独りよがりなこと言ってないで、他のファンの方と面と向かって議論を戦わせなさいよ」

俺、人見知りなんだよ、と武蔵が言ったときには、ひろ子はすでに玄関でサンダルをつっかけていた。
ひろ子の子羊、武蔵に選択の余地はなかった。

「小料理屋 辻堂あたり」は武蔵がよく通る道沿いに確かに存在した。
今までなぜ気づかなかったのだろうと武蔵は不思議でならなかった。
もっとも目立つ外観ではなかった。店先ののれんと弱い光を放つ立て看板とが、ためらいがちに店の存在を知らしめている程度だった。

ひろ子が引き戸を開けて中に入ると驚きの声を上げた。

ひろ子「あ、あなたは!!」

あら、いらっしゃい。
店の女将は何を隠そう女のカッパだった。

武蔵「何でこんなところにいるんですか! さっきまで「kamakura」対談に参加してたのに!」

別にいいじゃない、と女のカッパは言った。

武蔵「もちろん別にいいですけど、でも女のカッパさん鎌倉に住んでるんでしょ?」

女のカッパ「正確には辻堂あたり。まあ私は妖怪だからね。人間界における時間、空間という概念は関係ないの」

武蔵「そうだよね」

ひろ子「納得すんのかよ」

女のカッパ「まあ、座ってよ。 何にする?」

ひろ子「日本酒とオイキムチ」

武蔵「俺、コーラ」

武蔵とひろ子はカウンター席についた。
二人の他に客は一人いるだけだった。ジョン・レノンみたいな金縁の丸めがねをかけた、小太りでショートヘアの中年女性だった。
女性は右手に御猪口、左手にタバコを挟んでいた。大分、酔っているようだ、目が据わっている。
女のカッパが、その女性を二人に紹介した。

女のカッパ「うちのお客さんで、自称由子さん。由子さん、こちら武蔵さんとひろ子さん」

自称由子「どうも。自称由子です」

ひろ子「じしょうゆうこ? 苗字が自称さんなんですか」

自称由子「いいえ、自称って自分で名乗るって意味よ」

ひろ子「あ、それは知ってますけどね。じゃあ自分で由子と名乗ってるということですね」

自称由子「まあ、そういうことになるわね」

ひろ子「じゃあ本名は何というんですか」

自称由子「言いたくないわ」

女のカッパ「この人、サザンの大ファンなのよ。だから、由子と名乗り、旦那さんにはケイスケさんを選んだの」

自称由子「私、とにかくクワタという苗字か、ケイスケという名前の人と結婚したかったのよ。でもクワタさんてなかなかいなくて、そのうちケイスケと出会ったから結婚したの。でも私、騙されたのよ」

武蔵「騙された?」

自称由子「だってあいつハマショウファンなのよ! ケイスケのくせに浜田省吾ファンておかしいでしょ!? だったらショウゴって名乗りなさいよ!」

そう言って、自称由子は御猪口の酒を飲み干した。

ひろ子「そんな無茶な・・・」

武蔵「相当酔ってるな」

女のカッパが武蔵とひろ子の前に飲み物とオイキムチを置いた。
ひろ子はオイキムチを一口かじった。

ひろ子「おいしい!」

女のカッパ「ありがと」

武蔵「由子さん、KUWATA BANDについてどう思いますか?」

武蔵は原由子に髪型以外どこも似ていない自称由子に話しかけてみた。

自称由子「どう思うかって私はクワタという苗字になりたかった女よ。愛してるに決まってるでしょ」

武蔵「じゃあ、一曲ずつ感想を聞かせてください。まずは「BAN BAN BAN」」

自称由子「あれは桑田版ウォール・オブ・サウンドね。しかも懐古趣味の模倣に堕することなく、80年代のウォール・オブ・サウンドになってる」

この人、酔ってるわりにやるな、と武蔵は思った。

武蔵「スキップビート」

自称由子「メロにメロメロ、歌詞にメロメロ、私、ベロベロ。『割れたパーツの~』が割れたパンツに聴こえるでしょ。あれを聴いて以来、私も割れたパンツをはくようになったわ」

あんたははかんでよい、と武蔵は思った。

武蔵「Merry X'mas In Summer」

自称由子「あれを聴いて以来、クリスマスは夏に祝うようになったわ」

よくわからないが、とにかく好きということだろう。

武蔵「ONE DAY」

自称由子「カラオケで歌ってくれたら私その人に一発ヤラせてあげるわ」

その人がヤラせてほしいかという問題もある。

武蔵「NIPPON NO ROCK BAND」

自称由子「そうねえ、あれはいいんだけど、あまり聴かないかしら」

武蔵「なぜですか? 全曲英語だから?」

自称由子「それもあるわね。いくつかの曲はメロディが弱いというのもある。例えば「BELIEVE IN ROCK'N ROLL」。Aメロに対してサビが安易に流れすぎたきらいがある」

何をえらそうに。

自称由子「それにあのアルバムには女性の視点が欠けてる。女性が描かれていたとしても、それは男性の視点を通した都合のいい女性像でしかない。ちょうど夏目漱石の『道草』以前の小説に描かれた女性たちがそうであったように」

武蔵「でも、それは意図的でしょ?」

自称由子「確かにそうよ。それが悪いと言ってるんじゃないの。ただ女性の私からするとそこが物足りないの。でもそんな物足りなさも含めて私はKUWATA BANDを愛してるわ。あなたも誰かを愛したことがあるなら分かるでしょ。欠点も含めて全部好きって気持ちが・・・」

武蔵「これから桑田さんの発言を引用した上で質問をしますので、由子さんの意見を聞かせてください。
『KUWATA BANDの時に、全部英語でうたったていうのは、日本の国内だけを向いているのが日本のロック・バンドじゃなくてやっぱり海の向こうも向いているのが日本のロック・バンドだという仮説を立てからなんですよね。(中略)英語でやったっていうのは、趣味の部分とかじゃなくて、もしかしたら長期展望かもしれないけど、日本人がもっと世界に出ていくには、英語でうたうことが必要になってくるわけだから。』(「シンプ・ジャーナル」1988年8月号)
さて、由子さんは桑田さんが本気で海外進出を狙っていたと思いますか」

自称由子「それは狙っていたでしょうね」

武蔵「じゃあ、なぜ進出しなかったのでしょう」

自称由子「そうねえ、ホール・アンド・オーツと共演したりしたけどね。まあ、結論だけ言うと日本人が英語で歌うことの強烈な違和感が結局、彼を日本にとどまらせたのではないかしら」

武蔵は自称由子が只者ではないことを薄々感じ始めた。相当に酔っていることは確かだが、桑田を語るときの明晰ぶりもまた確かなものだった。

入口のドアが開き、由子以外の全員が注目した。そこには草刈正雄並にハンサムで背の高い男が立っていた。ポロシャツにチノパンと言うカジュアルな出で立ちだが、圧倒的な上品さを漂わせていた。ポロシャツもチノパンもユニクロにありそうなデザインだが、彼が着るとブルックス・ブラザーズに見えた。

女のカッパ「あら、ケイスケさん。いらっしゃい」

武蔵・ひろ子「エッ!! ま、まさかっ!!」

ケイスケ「好江、迎えに来たよ」

ひろ子「好江!? 由子さんの本名ってヨシエさんっていうの?」

自称由子「好江って呼ぶなって言ってるでしょっ!!」

自称由子はタバコに火をつけ、ライターをカウンターに放り投げた。
武蔵とひろ子の驚きは、ヨシエというユウコと1文字もかぶっていない名前に由来すると同時に、自称由子と他称草刈正雄の不釣合いによるものでもあった。
この背の高い真夜中のダンディーが、小太りなおばちゃんと夫婦であり、しかも旦那の方が尻に敷かれているように見受けられる。

ケイスケ「ごめんよ。でも由子と呼ぶことにはどうしても抵抗があるんだ。僕にとって君は好江なんだよ」

自称由子「また好江って言ったね! こっちに来なさい、ケイスケ! その暑苦しい面、ひっぱたいてやるから!」

ケイスケ「大分、酔っているようだね。さあ、もう帰ろう」

ケイスケは好江を立たせようとした。
好江はケイスケの手をピシャリと叩いた。

自称由子「触るな、ケイスケ! 私に触っていいのは桑田さんだけだよ! あんたはケイスケ違いなんだよ!」

ケイスケ「帰りのBGMには『バラッド3』を用意したからさ、そろそろ帰ろうよ」

自称由子「あたしゃまだ帰らないよ!」

ケイスケ「でも、もうすぐ閉店の時間だよ」

女のカッパ「そうね、そろそろ閉めないとね」

ケイスケ「どうも皆さん、ご迷惑をおかけしまして・・・」

ケイスケは背の高いハンサムというだけでなく、ジェントルマンでもあった。

自称由子「あたしゃ誰にも迷惑なんてかけてないわよ! あんたにだってね!」

自称由子は立ち上がったが、足元がおぼつかず、カウンターに手をついた。
すかさずケイスケが支える。

ケイスケ「さあ、僕につかまって」

自称由子「あんたにつかまるくらいなら、這いつくばった方がましよ。あー、女のカッパさん、また来るわ。えーと、あなたたち名前なんだっけ?」

武蔵「武蔵です」

ひろ子「ひろ子でーす」

自称由子「話せて楽しかったわ。また逢いましょう」

自称由子はケイスケの手を払いのけながら千鳥足で店を出て行った。

ひろ子「なかなか強烈な方ですね」

由子の席を片付けている女のカッパにひろ子は言った。

武蔵「あの方、何者なんです? 桑田佳祐を語るのに漱石を援用した人は初めてだなあ」

女のカッパ「あのひと大学教授なのよ。確か専攻は日本文学じゃなかったかしら。あ、私が言ったって本人には内緒よ」

ひろ子「えっ!! あの人が!」

女のカッパ「旦那さんはかつて彼女の助手だったらしいわよ。あ、これも内緒よ。」

ひろ子「どうりで尻に敷かれてるわけね」

「小料理屋 辻堂あたり」の閉店時間となったので、二人も帰ることにした。

女のカッパ「また来てね」

女のカッパは店先で二人に手を振った。

武蔵「こんなに近いなら毎日来ますよ」

1週間後、武蔵は再び「小料理屋 辻堂あたり」を訪れた。が、あったはずのところに店はなく、そのあたりを何度も歩いてみたが、ついに見つけ出すことができなかった。

 

 

(つづく)

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