夏の終わりに咲く花は、なにか寂しげに見える
仕事休みの日、くたびれた体だが、なんとか自転車にまたがり走り始める
動かないと沈んでしまうサメと一緒で、休んでいては、明日はもっと動けなくなる
自分の姿を見ているような・・・・しょぼくれたヒマワリ
その隣にかわいらしい・・・・花なのか
始めて見る花、
この日は晴れたり、曇ったり、雷が鳴り、一気に降り出したりと
気分の良いサイクリング日和ではなかったが
ここが一番私にとっては休める場所である
8月は仕事をしていたので、絵を描くこともなく
デッサンのままキャンバスに立てかけている
仕事の合間に絵を描く事は無理
と、わかっているので、今年前半は絵に専念し
仕事も遊びも山も控えて、また飲み会も断ってきた
絵を描く事は集中の連続、途切れてしまっては
絵に向かっても何処を描けばよいのかわからず、ぼーーと、見ているだけだが
朝起きて絵に向かい
絵の中に入りこみ、歩き始めると周りの風景が見え始め
不自然な木や川の流れ
また、光の当たる葉や木々が見え、足元の雑草も輝き
筆は自然と動き始める
まぁーそんな事だが
今は生活費や画材を買うため、仕事を頑張らねば
又、9月から予定のボート釣り
久しぶりに竿やリールの点検、修理
しかし、9月末まで仕事は続き又9月13日から秩父美術館もあるので休みを取るのは難しい
仕事の内、2割は自宅で設計なので
今日も自転車に乗り、人もいない木の下のベンチで休んでいると、
遠い昔の事を思い出す
二十歳の頃の夢はあっという間に消えてしまったが
想いでの深い、激動の年だった
学生運動、放浪の旅、友人の自殺、別れ・・・・・・・
一気に走り過ぎた感もあるが
3畳一間の部屋で絵を描いていた頃
いつも聞いていた想いでのメロディが浮かぶ
ラ・ボエームの歌詞から
夜更けに帰り、あなたは向かうキャンバスの前に
夜を明かし朝になればコーヒーなど飲んで
夢を語り、夢を見たの・・・・・・・・
ピカソの絵の模写
19歳の頃、ピカソの青の時代が好きで、私の青の時代を描いていた
夜明け前の新宿や、逗子の海辺の通りなど
夜明け前の一瞬、色彩は消え、ブルー一色になる
新宿の街ではくすんだブルーだが
海の近くでは海も砂浜も家も道路も
透明なブルーの霧に包まれたかのような風景
そんな一瞬を描くのが好きだった
画廊のデッサン教室にも通い、仲間の詩集にイラストも描き
ディスコの天井や壁面にサイケデリックな絵を描く生活だったが
・・・・・・苦い青春時代だった
しかし、その頃描きたいと想っていた絵の構想は今でもはっきりと想いだす
孫をモデルにして描きたいが90歳で描けるだろうか・・・・無理だろうなー
50年過ぎた今、今一度追いかけ始めてる
若い頃と違い、ただひたすら描く毎日だが
人生残り僅かで、辛さはその時以上かも知れない
しかし、夢を追いかける楽しさが勝り、辛さはない
只、絵を描いていても、生きているうちに描き終えるかいつも心配になり
体力気力を維持するため今日も走り続ける
一人で走る事にはなれているが
こんな場所でこんな天気だからかも知れないが
優しい人に????出会うことも
スマホばかりしている人の多い場所では
睨まれることはあっても、声を掛けられることは無いが
自然の中は、やはり良いですね
この花のように可愛い・・・網を持った少女でした
トンボや蝶の取り方を教えると
オジサン写真撮ってあげると、・・・・ちょっと照れてしまい横を向いたまま
変わったキノコが出ているよと教えると
お母さんの処へ戻っていった
おにぎりのようなキノコを見て
腹も減ったので帰る
※画家とは何なのだろう
夢と現実、怒りと安らぎ、不安と喜び
しかし、描く時はすべて忘れる
描く絵の大半は風景画だが
美術展で老画家からこの風景画の意図はと聞かれ
嫌いな人間の多い世の中を見ていると、雑草や昆虫が可愛いく
木々や草花も鳥も共存し争いも無く、楽園に見える
深緑は眩しく、紅葉は華やかで美しい
枯れた葉も風情があり枯葉の絨毯も良いものですね
カラスも可愛いですよ