東日本大震災から5年が経つが


もう5年も過ぎたのかと、驚いてしまう


まだ、あの時の記憶は鮮明に残っている



今、復旧、復興に向けて


国と地元が一体となり、進めているのかも知れないが


どうも腑に落ちない処もある


山林を削り取り

高台の宅地造成や

巨大な防潮堤ばかり目につき

人間の生活が見えてこない


国や地元の方針に異議を唱える気もないが

この巨大な防潮堤は受け入れがたい


昨年ある番組でこんなニュースが


阿部
「今、東日本大震災の被災地は、思わぬ課題に直面しています。」

和久田
「被災地の沿岸部では、防潮堤の建設が進められています。
計画の総延長は400キロ。
およそ9,000億円かかる費用は、すべて国の負担です。」

阿部
「しかし、防潮堤の中には、計画当初とは事情が変わり、津波から守る対象があいまいなまま整備が進んでいるものもあることがNHKの取材で分かってきました。


また、こんな事も書かれていた


このL1津波に対する防潮堤は、宮城県気仙沼市では最大高さ約15メートル、幅約100メートルにもなる巨大なコンクリートの壁が、海岸を数百メートルにわたって覆うものとして計画されています(小泉地区中島海岸)。こうした計画が明らかとなるにつれて、一部の住民や研究者、支援者などから、観光や沿岸漁業へのマイナス、海が見えなくなることによる防災意識の希薄化や、海との生活文化の衰退、生態系への悪影響など、さまざまな懸念や不安が表明されはじめました。


福島や仙台、三陸町と、私も親戚や知人が多くいる

子供の頃それらの海でカニと遊び泳ぎ楽しんだ


美しいリアス式海岸や、長閑な山に囲まれた入り江

豊饒な海の幸に恵まれた東北の海岸に


いま巨大な防潮堤が作られている


人間の命を最優先しての事とは想うが


私個人の意見としては


私の命よりカニや小魚、美しい自然を残してほしいと願ってしまう

一度壊してしまった自然を戻す事は不可能です



これから生まれてくる子供達が

まず目にするのは

コンクリートに囲まれた世界


波の音は聞こえず、

コンクリートの上を渡る嫌な臭いの風が吹き抜ける


その防潮堤の先に広がる海は 、どう変わってしまうのだろう

海藻も無く小魚もいない

暗く、冷たい、無機質な海を想像してしまう



美しい入り江の小さな砂浜やタイトプールで

カニや貝を取り、小魚と遊ぶ子供達


そんな、大人の目の届く場所なら安心して遊ばせる事も出来たが


高さ15m、幅100mもある防潮堤では

その先の海で、遊ぶ子供等の姿は思い浮かばない




親が子に残したいものは、知恵であり美しい自然と想う




私の故郷は美しいリアス式海岸と、新緑の山に囲まれた静かな町です


と、言えなくなるのは辛い事ですね








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