前回のブログで、「地理的要因がもたらしたギリシャ社会と中国社会」で環境は人々の性格を特徴づける要因の一つで、必ずその土地にあった「合理性」があると言いましたが、今回はドイツ車とイタリア車の違いを通して、説明してみたいと思います。自然環境の差が人間のメンタリティーの差に影響すると分かってもらえればと思います。
イタリア車と言えば
「フェラーリ」「アルファロメオ」「ランボルギーニ」
ですね。これらのクルマは「スーパーカー」の代名詞となっています。
対してドイツ車といえば
「メルセデスベンツ」「BMW」「アウディ」等が挙げられるかと思います。「重厚で丈夫」と一般的に言われています。
アルファロメオは1910年北イタリアのミラノで創立され、戦前から自動車レース界の強豪としてスピードカーを生み出しており、フェラーリはアルファロメオのレーシンググループであったエンツォフェラーリによって北イタリアのモデナで1929年に創立されました。
また、ランボルギーニは北イタリアのボローニャで1962年に創立されました。
どれも北イタリアで生まれた会社であり、スピードカーとして世界的に有名です。ではなぜ、イタリアでスピードカーが発達して行ったのでしょか。
ここで自然環境が人間の性格を特徴づけ、必ずその土地にあった「合理性」があるという話に戻ります。
イタリアの地図を見てください。北イタリアには「パダナ平原」という大平野があります。このような大平野に住む人々の合理性とはどういったものなのでしょうか?
それは、ヨーロッパ諸国は常に戦争と隣り合わせでした。イタリアは1861年にひとまず統一されイタリア王国となりましたが、それ以前は隣の公国(今で言う州)とで常に争いが起きていました。
このような状況下では、情報を如何に早く伝えるかという事が求められます。
北イタリアは大平原があります、平野の西部と、東部を行き来するのに一本の真っ直ぐな道路を敷くことが可能で、目的地に早く到達するために、スピードが出る乗り物を所有する事はアドバンテージになります。山や丘を越える必要はありませんので一気に目的地に到達できます。時速50キロの乗り物と100キロ出せるものとでは、到達時間に大きな差が生じ、その差は戦時中には致命的な差になっていた事は想像に難くありません。
少々壊れやすく、燃費が悪くても、高速の乗り物の方が、戦時中、大平原で生きる彼らにとっては「合理的」だったのです。
北イタリアのパダナ大平原は何千万年と今日まで平野であり続けています
この様な環境で育った人間(あるいは生物)たちが、スピードというものに執着してしまうのは、当然と言えば当然なのかもしれません。遺伝子レベルで組み込まれた、そこに生きる人々の記憶なのです。
ではドイツ車ではどうでしょうか?
次回はドイツ人にとっての合理性を見ていきます。
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