なぜバスレーンなの?
1966年(昭和41年) 都市計画決定された外環道は、当初、和光市内を含めて現在の戸田市までと同じ設計で計画され、用地買収もその幅で行われました。
外環ができた当時は今と違って排気ガスがすごいし、騒音も今の車とは比較にならない。環境を心配する住民の強い反発もあり、和光市内は交通を絞ろうということにした。地域分断も課題になった。
そして、市内区間の側道は市道になった。
当時の行政の判断は当時の判断としてはいいのだけど、あの道路は交通量が多いわりに設計が市道なので補修費は市の財政に負担をかけ続けた。舗装の基盤が薄いから、すぐ波打っちゃうんですよ。とにかく莫大な予算があの道路には消費されてきた。
(これは議員として予算や決算を一定年数見てきた人ならなら理解しているはず。)
そもそも市道は市内交通が役割だからね。
もともとは国道の予定だったり、交通量的には県道という手もありの場所なのだけど…。
今回のバスレーンは、外側車線で、バスだけが走るから、騒音や排気ガスなどの負荷は相対的に低い。普通なら、過去の経緯があるから車線を増やすのは難しい。そこに時が流れて技術も進展し、だからこそのバスレーンなんだよね。バスレーンのような特別な設計としてでなければ、過去の経緯を踏まえるとあの場所の拡幅は実現できないだろう、ということ。だから今の取り組みがある。
ちなみに、ボトルネックをなくせば改善する、なんてことを言う人がいるけど、まあボトルネックって不思議なものでね。
ボトルネックは移動するんだよ。経営学の金言を知らないのかな。だから、根本から改善するには、あちこちを手直しする必要がある。 そんなに単純な話ではない、というわけです。
ちなみに公共政策の世界では常識なんだけど、渋滞が完全に解消されたら何が起こると思う?当然、交通が流入する。するとどうする?また対策するんだよ。
公共政策とは終わりのない旅なんだよね。
追記 せっかくなのでボトルネックがどう移動するか、経営者とか経営学の関係者には有名なんですが、補足しておきました。エリヤフ・ゴールドラット『ザ・ゴール』(日本語版はダイヤモンド社)は今読んでもめちゃくちゃおもしろいのと大切な概念なので、ぜひ原典をご覧ください。今売られている日本語版の完成度は非常に高いです。
出所:「自動車排出ガス規制の経緯 (ディーゼル重量車)」(国土交通省)