阪神淡路から30年 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

阪神淡路から30年

阪神淡路大震災は、兵庫県出身の私にとっては、人生の大きな転換点だったと思います。
当時私は東京におり、直接被災したわけでは無いものの、家族が被災し、また、身近な犠牲者もいました。
震災直後に神戸に入り、実家の片付けの手伝いもしましたが、あまりの被害の大きさにしばらくはトラウマ的なものに悩まされました。


あらためて強調したいのは、住まいの備えの重要性です。
あなたの住まいの弱点はどこですか?
もし、旧耐震の建物で、震災による倒壊リスクがあるのであれば、引っ越しも耐震化もできないまでも、せめて1階ではなく、2階で寝る。
倒れるものの近くでは寝ない(また、両親はたんすの下敷きになり、奇跡的に無傷だったものの、震災の恐ろしさを痛感させられました。ちなみに、いわゆる婚礼タンスだったのですが、両親は結婚当時、お金がなくて軽い安物だったので、下敷きでも死ななかったのです)。基本的に家具は固定。
もし、山沿いの家で、土砂崩れのリスクがあるのであれば、斜面から遠い二階で寝る。
津波リスクのある地域で居住しているのであれば、避難経路を確認しておく。


様々なリスク要因があると思いますが、それをきっちりと把握し、対応してリスクを最小化していくことが重要です。


また、政府により南海トラフ地震の発生確率予測が引き上げられましたが、あの数字に意味がある、というよりは、そういう節目ごとに備えを確認することか重要です(南海トラフは100年から200年ぐらいのサイクルで起きていますが、確かにあと20年で100年ですから誰が計算しても、そろそろ来てもおかしくはないのです)。


ちなみに、私が、実務家教員としての勤務地として、まず広島を選んだのも、安佐南区の土砂災害を踏まえて、災害について現地を歩きながら考えたいと思ったからでした。

学生と被災現場を歩いたり、語り部の方々とも交流をさせていただきました。ほんとうに勉強になるとともに、心に残る出会いがありました。

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