東京大空襲から78年 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

東京大空襲から78年

東京大空襲から78年。語り部も多くは他界され、すっかりリアルな体験を聞く機会も少なくなりましたね。

私の父は神戸の中心街に住んでいたため、3月17日を始め何度も、母は明石で川崎航空機工場の近くに住んでいたため、6月の3度にわたる大空襲を中心に幾度もの空襲を経験しました。78年前のことです。母の住んでいた家が焼けたので祖父が作った掘建て小屋で戦後しばらくを過ごしたといいます。台風で屋根が飛びそうになった、なんてことをよく祖父母から聞かされました。そんな母も四年前に逝き、私の身内で戦争を知る人間も少なくなりました。

思い出してみると、小学校の恩師はよく、戦争の話をしてくださいました。垂水駅の近くでグラマンに砲撃されたこと、その時、乗員の顔が見えたこと、高射砲がB29に届かなくて悔しかったこと、などなど。その話をするときの本当に悔しそうな表情をよく覚えています。おそらくあの世代のあの悔しい気持ちが戦後の日本を引っ張ったのでしょう。

写真は神戸市ウェブサイトより。乗員たちはリスクのほぼない安全圏から人々を殺戮したと思うと本当になんとも言えないですね。