「ゆたぼん親子」のコンテンツは「教育論」ではなく「ショータイム」として消費すべし!?
最近、ネット記事等でいわゆる「ゆたぼん」を目にしない日はないと言って良いだろう。世間的には、親子で旅し冒険する彼らの資金調達であったり、ご飯をおごってもらうとかもらわないとかいうたわいもない話であったり、さらには日々の親子の言動がコンテンツとして消費されている。
重要なのは、それはリアルな冒険と言うものではなく、どちらかと言うと以前に大ブレイクした猿岩石の世界紀行であるとか、あるいは、亀田3兄弟の表の姿(どちらが裏か表かはわからないが、亀田はボクサーとして一流の中でも上位の実力を持っていたとされており、私もそれを信じている)に近いものだと考えればよいだろう。
要するに、あれはリアルな教育でなければ家庭像でもなく、ある種の予定されたエンターテイメントなのである。もちろんそのエンターテインメントのあり方自体が川口浩や猿岩石の時代と今のネット社会とでは異なるわけだが、本質は同じ、なのである(純烈&ダチョウの「白い雲のように」再ブレイクにびっくり)。
とするとその挙動をいちいち報道している一部の芸能マスコミが伝えるのは、まさに昭和のプロレス団体の「闘争」に代表される、一つのショーなのである。
よって、「ゆたぼん親子」が提供しているコンテンツはまさに、ショータイムとして消費すれば良い性質のものだろう。くれぐれも、教育論をそこに絡ませてはならないということがわかる。ましてや、彼が学校に行かないからといって、それを真に受けてもう学校に行かなくても良い、と考えてしまう子どもがいるとしたら、それをたしなめるのは親の役目である。
昭和の話で言うなら、素人が体育館でマットを敷いてブレーンバスターをやってはならないのと同じである。
もちろん学校に行くと言うこと自体に価値があるかというと、そこは揺らいできている。学校に行くこと自体には、当の文科省も100%の価値を認めているというわけではなく、すでに学力保証と出席は一体という考え方ではない。
重要なのは「楽しんでも、真に受けない」ということなのである。もちろん、楽しむ必要すらないものなのかもしれないが。
ちなみに「ゆたポン」と思ってました!