財政錯覚の論点。財政黒字のための努力は痛みがリアル、財政赤字防止の努力のメリットは見えづらい | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

財政錯覚の論点。財政黒字のための努力は痛みがリアル、財政赤字防止の努力のメリットは見えづらい

財政錯覚が起こり、(特に政治が)財政赤字に易きに流れる構造については、古典で申し訳ないが、ブキャナンの議論で尽きている。大昔に書いた著作の一部からそのくだりを転載する。

 

ジェームズ・ブキャナンらは『ケインズ財政の破綻』(1) で国家財政における黒字予算と赤字予算の比較を行うことで、この誘因がうまれる源泉について考察を行っている。
ブキャナンらによると、黒字予算については「予算が黒字を出すためには、多かれ少なかれ国民が直接的な負担をしなければならない」ものの、「予算が黒字を出すことによってインフレを防止することができ、結局は人々の得になる」。だが、「黒字予算が直接もたらす結果は、現在享受している消費水準の低下」であり、もたらす利益は直接経験されるのではなく、頭の中で想像されなければならない。
また、もたらされる利益はマクロなものであり、個人への直接的な、ミクロな影響については想像力を巡らせるしかない。
一方で、「赤字予算を編成すれば、課税の裏付けがない歳出が可能になる」。黒字予算と決定的に異なるのは、現在享受している消費水準は低下しないということである。「赤字が減税によるものであるか、または歳出増加によるものであるかによって、国民が受ける利益の配分は当然異なってくる」ものの、これはさしたる問題ではない。なぜなら、「黒字予算との決定的相違点は、赤字予算には直接的に得をする人ばかりがいて、損をする人がいない」からである。
赤字予算の問題は後で露呈する。「やがてインフレが発生する時点になって、赤字予算のため間接的に損をする人がでることになる」ものの、これはあくまで「将来のインフレ」であり、推測するしかない「将来の生活水準低下」なのである。
ブキャナンらはケインズ派のパラダイムを受け入れた国家財政においては「財政が景気を刺激するバイアスが強まり、同時にインフレを防止・抑止する力を弱める方向のバイアスが増大した」とする。これが、財政負担が同じでも調達手段を税にするか、借金にするかによって負担感が異なるという財政錯覚の論点である(2)。

 


(1)ブキャナン、バートン、ワグナー(1979)『ケインズ財政の破綻』日本経済新聞社,pp31-35
(2)佐藤主光(2009)『地方財政論入門』新世社、p244